ひとつは、死刑判決で執行する殺し方。
アメリカ軍に戦争を吹っ掛けて敗けるものを降服しなかったために日本人が多く死んだ場合、日本人大量殺人の犯人は昭和天皇だった。
今なら外患の罪にあたる。
天皇の身代わりに戦犯で死刑になったものがいる。
連合軍の兵士らを多く殺したものも死刑。
これら極刑は大量殺人の場合。
医療による殺人の場合は医療過誤で1人一件とか五件とかのオーダー。
しかしながら精神医療だと桁が違う。
改善しない。
むかしの話ではない。
特に病院という完全に管理しているはずの施設内での傷病や死因は厳格に精査するべきである。
内閣国会が本気でやらなければできない。
公務員が1年契約では家庭崩壊で何があるかわからない。
今の日本人たちは、いつどこでだれが殺されても死因は犯罪で片付けているのと同じことだ。
殺人の責任は誰もとれない。
しかし病院の医師の判断責任は明確に追求できる。
そこをきちんとやれば、安心安全な国を作る一歩になる。
いくら大量に国民が死んでも殺されても誰も責任をとらない。
自公立維の政治では改善されていない。
行為責任を限定しすぎ、因果関係を否定しすぎ、自己責任ばかり言い過ぎ。
日本人なんていくら殺してもよいという統治政策になっている。
日本政府こそが改善すべき癌である。