みなさんがそれぞれ自己を見つめて自分を評価しているわけではない。
学校、会社、親族、同級生、同僚、親族などの評価があって、それらの総合評価をどう感じるか?ということがひとつで、大人は特に偏りがないことが大切だ。
この自己肯定にはひと癖あって、過労死ラインで働かせるには第三者の評価を排除させることが効果的だという計算のもとで、現状に甘んじさせて高利を貪るために、自己肯定を転用していることが多い。
仏教の知恵でいう慢心と同じ間違いを誘導している。
君イケてるねとスカウトして法外な契約でボロ儲け。
魂胆みえみえ。
高校進学を諦めさせるためとか、希望進路を諦めさせるためとか、その段階でも自己肯定感を悪用して無理やりおだてあげる。
必ずその裏で金品をくすねている悪党が存在する。
正しい意味で自己肯定という単語を使わなければ、かえっておかしくなる。
正しくは冒頭触れたように、自己評価を広く確かにできることが大切な基礎だ。
その上で自己肯定していくなかで、必ず現状を改善する知恵が見出だせるはず。
自分の心もとない印象や不確かで一時的な感情があてにならないことにまず気付き、豊かに生きるための最小限度の必要性に生活全般を組み換える作業からまず取り組まなければならない。
それをさせないために、あなたの幸福追求を誤魔化すために、自己肯定感をあげろという詐欺、カルト、コマーシャル学者に惑わされないことだ。
そうは言ってもよくわからないまま専門外もあり、流され誤魔化されはぐらかされ騙されのせられおだてられる残念な衆生のために日蓮正宗がある。
ただ唱題するだけで、正しく自己認識でき、修正の機会になり、自己肯定がちょうどよくなるからお勧めである。