しばらくの間、親族のすすめで聖教新聞を購読していた。
ほとんど毎日、貧困国との友好関連記事が1面トップ。
さっぱり魅力がない。
先進国との交流はかなり少ない。
それもそのはず、各国でセクトとかカルト認定されている。
1番メチャクチャなのが座談会コーナーでデマのフルラインナップかという印象。
一時期、学会は懸命に宗門の悪口を書き立て、全世界の会合でも散々な揶揄誹謗の限りを尽くしてきた。
そのひとつのデマは、大石寺はペンペン草がはえてあれ放題、野犬がうろうろしているなどというもの。
学会を破門にしたから、大石寺を参詣する人数が減り、整備ができずに治安も悪いという印象操作。
実際上の細部の予算は楽ではないはずだが、どうみても美しく整備されている。
県の重要文化財も近年大改修。
野犬なんて見たこともない。
750年来の清々しいお寺の空気と富士山の壮大な姿の中で、日蓮大聖人の遺した大御本尊に祈る人たちがいて、不足はない。
もし指摘するならば、問題は宗門における本来の宗教活動やその心のほうである。
誹謗やデマの内容が下らないので、創価学会というのはその程度の宗教なのだとわかる一例である。
信心そのものがメチャクチャな金と票目当ての新興宗教が伝統ある正統的な仏教の悪口を言ってみても、なんだかかえって情けなく恥ずかしいように見えるのだが。
当時、正面で悪口を言わされ、御僧侶をボウズなどと誹謗していた秋谷栄之助さんは、畏れ多いと日蓮正宗に戻られたとか。
まっとうな人間の発する言葉かどうか、自分の姿が見える人だけが日蓮正宗に戻ることができる。
魔鏡を拝めば自分の姿が見えなくなる。