FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

バイオリンと運動神経

そんな言い方で音楽表現のすべては言い表すことは難しいというのは誰でもわかるが、かなりの部分はバイオリンは運動神経で弾ける人が多い。
バイオリンをうまく弾く段階、音楽をうまく表現する段階、例えばコンサートの趣旨や何らかの世界観との融合を醸し出すような段階と、次第にうまさはステップアップしていく。
音楽をうまく表現するだけで、時代や作曲家ごとの違いを感じ取って克明に描き出すのは、それなりに難しい。
実はここで1番運動神経が活躍している。
だから音楽家が500円とか2000円の靴を履くことはあまりないのではないかと思う。
フィッティングと性能が完全なものを選びたいと思う。
ただ歩ければそれでよい靴もあり、デザインをあとに選ぶことはある。
それらのフィッティングと性能のよいものは5000円で販売して欲しいというのが本音である。(毎日納豆でしのぐのは苦痛なので)
どうしてもその価格帯になると性能が落ちてくるので、悩ましいのだ。
ちょうどガット弦を選ぶ悩ましさにも似ている。
バイオリンの構えとか弓の持ち方さえきちんとしていれば、あとは確かに運動神経で音楽の勉強はできる。
本当は音楽を受け止める感じ取るセンサーの根にある心がおかしいと、運動神経は役に立たない。
とりあえず心を磨いて調えて、よい音楽に触れてから、楽曲を掴むこと、理解することを日常にやっておくことが大切だ。
いくらやってもモノにならない。
お金も運動神経も教育環境も一切中途半端な結果になる。
バイオリンをけん玉にたとえた著名人(専門家)がいるくらい、バイオリンをうまく弾くだけなら、かなり誰でも弾けるものだ。
ムードに流され、おだてあげられて、一財産と青春を浪費する人たちもいる。
音楽しているつもりにならず、雰囲気に満足しないで、自分の心と向き合うことと、真剣に楽曲と向き合うことは、大切な研鑽の基礎条件。
より充実したバイオリン人生を志向する人たちが増えるように願う。
当然に弦だけではない話かもしれない。
自慢話というほどでもないけれど、中学校の50メートル走は学年2番、中距離(7キロ)は学年3番2回と1番1回で、全国の偏差を見ると私は上位4%に含まれていたらしい。
靴に最低限こだわるし、楽器にこだわるのは変わらない。
運動神経はただの前提条件だ。
その根本の魂を知らずしてなにをやっても無駄だから、1日もはやく気が付いて欲しい。
苦労や頑張りは役に立たない無駄にしかならない。
遠回りしてなんとかなるほど人生は長くない。