FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

音楽や科学の宗教性と宗教の非宗教性

題名ですべて理解できる人もおられるが、そんなものあるわけないと思う人もおられる。
音楽に一定の期待と信頼を寄せて財産を注ぎ込む。
科学はまさに科学信仰という言葉がある。
その側面が悪く作用して多くの人たちが不幸になり地獄を見て、最悪の事態を招いてきたことは、歴史や文学や事件簿などに無限の記録がある。
宗教の負の面は誰でもわかりやすいが、実は伝統宗教には、理性も理論も慣習も間違えずに正しい科学性の一部があるので、特に教育段階においては非常に有用なものがある。
残念ながら、その有用性は本人が必ずしも望むものではないことがあり、たとえ望んでも結局は親族と反目することもあり、いちおう自立する頃になんらかの宗派との縁を選ばねばならない。
親族の都合と本人の人生はまさにまったく別であり、その選択の時点で科学的に正しいとか老後まで正しいとかいう保証などありえない。
そのあり得ないはずの保証になるものこそ日蓮正宗大石寺の信心である。
音楽、科学、知識、経験、苦悩などあらゆるものを使いこなせる自分になりゆく。
成功や失敗や不遇に左右されない。
そんな人間は他者を攻撃したり傷付けたりしない。
本物の仏になるがゆえに一生成仏という。
わかったつもりにならないことだ。