FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

子どもがかよわくなる原因?

もう何年か前から都心に越してきてよく見かける風景で、最近はだいぶん見慣れてきた。
歩ける子どもを抱っこしたり、自転車に載せて走ったりしている親子連れ。
まだヨチヨチ歩きなら時々抱っこはわかるし、長距離なら自転車もわかる。
でも、どうやらそうでもなさそう。
大学附属の幼稚園児たちは感心にも遠い駅まで歩いていて、健康そうだ。
感心とはいえ、当たり前。
わたしの育った時代には常識。
そんな甘えた子どもなんて見たことがなかった。
恥ずかしい姿を公衆の面前でさらすなんて親子ともども誰もができなかった。

もうひとつの最近の珍風景がある。
子どものバイオリンケースを親が持って、子どもがそばを歩いているのだ。
目が点になる。
子どものバイオリンなのだから子どもが持つものだ。
なぜ子どものバイオリンを親が持つのか理由がわからない。
もしかすると子どものお尻を親が拭くのかもしれない。
ちょっとよくわからない。
40年も前のこと。
一度バス停のベンチにバイオリンケースを忘れて教室に行った。教室に着いてからバイオリンがないと気がついた。
のどかにもバス停のそばの煙草屋さんはケースを預かってくれていた。
肝を冷やしたけれど、幼稚園年長だったかそれ以来忘れることはない。

子どもが発育する途中でうまくいかないことが増えている。
精神的に弱いとか、発達が進まないとか。
親は子どものためを思って、抱っこし、自転車に載せ、バイオリンケースを持っているのだろうけれど、そんなことしていたら子どもは育たない。
よほどの重篤な救急車でも呼ぶような時、疲労困憊で歩行できない時なんて、成人するまでに一回あるかないか、全然ない人がほとんどだから、しっかり歩かせて、自分の持ち物くらい自分で持たせる愛情が不足しているということだ。
可愛い子には旅をさせよ。
見聞を広めることと同時に、多少の忍耐力も養うために、日常から鍛えていく監督責任を自覚していくほうがよいと思う。
大人になっていく過程で子どもを弱らせる親では親とは言えない。
必要充分な環境条件を調整してあげながら、自立の軌道を楽しく歩ませる厳しさこそ愛情だ。
夜間の安全のためなど対策はもちろん必要だが、なんとも将来が思いやられる。