FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

悪質なカルトからの非難は却下

昔、二十代のころから、新興宗教の人たちにとことん馬鹿にされ、誹謗中傷の限りを尽くされてきた。
数ある誹謗の中で、不見識をさらしていたものもあり、久しぶりにグリンカルスランとリュドミラを聴いて弾いていてこれだと思った。


はじめて社会人オケに参加した1曲目はグリンカだった。
戸畑市民会館という北九州の若戸大橋が見える建物のホールだったと思う。
当時中2で久しぶりにバイオリンを再開して、ゆったりモーツァルトの協奏曲など弾いていたころ、目が覚めるようなグリンカに面食らった記憶は鮮明だ。
焦り半分で誤魔化しながらなんとか弾いたが、1回目のコンサートだけはセカンドバイオリンだったので問題なかった。
ずっと気になっていたので、さっき楽譜を探してファーストバイオリンを弾いてみたら、全然楽勝。
確かにはやい速度に聞こえるが、弾けないようなものではなく、少し練習して掴めばむしろ易しい曲だ。
(そんなことより改めてスコア全体の美しさに見とれた)

数ヶ月前、チャールダーシュを弾いてみたら、速度の目安に迷い、お手本にレーピンを使うか、芸大生を参考にし、誰を使うか様々に試してみて、トップスピードは160前後で充分なようだ。
それも簡単な速度の簡単な曲でしかない。
チゴイネルワイゼンのほうがよほど難易度は高いが、およそ速度の難しさではない。

バイオリンはゆっくり弾くのが一番難しい。
この原則というか基本的なことを知らない素人が20年前、私に言ったことがある。

「プロははやい曲が弾ける。
趣味でバイオリンをやるより◯◯君は宅急便の仕分け作業をやるべきだ」と。

別の新興宗教の会員は27年前、「お兄さんのバイオリンは下手だ」とも。

つまり彼らは私がはやい曲を弾けないと思っていたし、音楽に向いていないと言っていた。

早弾きは子供の遊びでしかなく、プロは速度の制御能力振幅を使う。
それすらプロの基礎的技術に過ぎない。

親族からは基礎のない趣味を宿命づけられながら、基礎から積み上げようと学びたい心を踏みにじられたことは忘れない。
音楽をわからない人たちが日蓮正宗をわかったから何でもわかるのだと勘違いをして、メチャクチャな誹謗中傷をしてきた。
バイオリンはそもそも誰でも環境で弾けるようになり、環境で弾けなくなるものだ。
才能の概念がまるでわかっていない彼らにとっては、全部わかっているつもりなのである。
新興宗教だけでなく、日蓮正宗にもわからない人たちが揃っている。
バイオリンだけでなく、クラシック音楽の文化を知らない極東の田舎者に過ぎない。
カネがすべての浅ましい信者の寝言は完全に却下して問題ない。
人類と音楽を愛するまともな人間として、恥ずかしい人たちが多数いることを隠す必要もない。
日蓮はすべてお見通しなのである。
音楽はキリスト教文化などではなく、世界人類共通の文化遺産である。
そこを次の記事にする。
カネだけで文化をやる東洋と師弟でコミュを形成する西洋のレベルでは、現代世界が西洋優位になるのが当然だ。
中庸も師弟もなくしたアジア日本の末路は悲惨だ。
世の不幸は見て見ぬふりで親分やセンセーに貢いでいれば安心の境地と悟りが得られるのだそうだ。
頑張ればなんとかなると言うが、、、。