FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

音大に何を求めるか?

音楽大学がここまで凋落してしまった致命的弱点
学生数激減で経営危機!何を間違えてしまったか
大内 孝夫 : 名古屋芸術大学芸術学部教授

という記事が東洋経済オンラインに出ていて、日本人にとっての音楽の特殊性を改めて考えさせられた。
この教授は銀行畑出身の方なので、学生数が激減したのは、就職指導や経営のノウハウを大学で教えないからだと見ている。
音大は金持ちの腰掛けだから今までのやり方で問題ないという大学のスタンスを批判している面もあり、一面そのとおりだと思う。
しかし音大からの就職指導なんて発想がそもそも音楽とか師弟を知らないのではないかとも思う。
優秀な演奏能力を大学のコミュの中で身に付けて様々な編成や分野を学んだある程度幅のあるマルチな音楽家を育て、もちろん専門を掘り下げて、それだけで大変なので、あとは紹介や所属先のご縁があるかどうかの問題だ。
なにか一般公募の企業人事のイメージで考えるのは基本的に間違いなのではないか?
国公立音大の役職ですら、試験の前に結果がほとんど決まっているような実力と人脈の世界で、なにを指導するのか甚だ疑問。
音大の問題というより、就職環境の改善がなければ、金のかかる遊戯の世界に終わるが、これは政府の方針と日本の伝統による差別があるためだ。
実力を育てるためには音大環境が必須なのだが、その実力を活かす職業が少ない。
たしかに建物をいくら建てても、講師が溢れても、それは大学の体裁である。
実力の定義も本場ヨーロッパとは微妙に異なる。
音大の間違いを指摘するとすれば、どんな人生を歩みたいのか、どんな人間になりたいのか、などというそもそもどんな音楽になんの価値を見出だしているのかという確かなものがない講師と学生で溢れていることだ。
一方で、音楽が好きな人はいくらでもいるし、音大を卒業している人たちもたくさんいる。
それぞれの人生の中で、それぞれの楽しみ方を模索しながら楽しみ、可能な限り地域社会に貢献するその姿にも価値はある。
学生が減るのは、むしろ日本社会で音大卒や音楽好きを異端扱いしているからである。
富裕層の嗜みとして富裕層が市場や役職を独占したいという思惑と外来種排除の伝統は、一握りにとって非常に好都合な循環なのである。
国民みなさんに音楽が行き渡らないように政府と音楽の指導者たちで、意図的に仕組んだ結果として、学生が減る。
自由意思の尊重は前提ながら、学生の扱い、育て方、愛情という基本的なところになんの担保も客観的基準もない野放図な分野なのは、先進国では日本くらいではないのかと想像している。ほぼ指導者の経験則だけ。
最優秀学生だけに奨学金を支給するやり方も日本特有ではなかろうか?
音楽分野を育てるとか繁栄させるとか普及させるより、独占して富裕層の中で資金と役職を回していくという業界の偏りを修正できるかどうかがカギになる。
政局と結論から言えば、日本ではありえない。
音楽は99%の日本人を不幸にしている。
そのなかで、現在の学生数はとんでもなく多いし、大学として、非常に健闘しているとむしろ感心するのである。
一般の需要は絶大であるにもかかわらず、欧州なみの国立、王立、州立などの豊富な公的資金投入を拒否し続ける政府や議員と閉鎖的業界の反動自然作用として私立音大が乱立した経緯がある。
心豊かな人間が国を基本から作らなければ、今のような有り様はますますひどくなる。
ただただお気の毒なお国柄、分野業界である。