FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

有働アナウンサーの平衡感覚

f:id:FujiYama:20220401134650j:plain戦地からのリポート中継をアナウンサーが終わらせたとして話題になったようだ。
わたしはジャーナリズムとジャーナリストとマスコミが互いに影響しあってそれぞれが活躍できたらよいなと甘い希望的観測をたてる気にはならない。
戦地でいかに安全圏だと判断しても、その彼らの言う安全圏で予想外に死亡することがある。
命を懸ける、人生の選び方は自由意思にまかせるべきだという意見はあるが、ジャーナリズムの価値は危険をおかすことばかりではない。
確かに映像を撮ることは一定の価値がある。
事実の把握や報道は悪いこととは言えない。
しかし命を軽視している事実を同時に報道していることに気がつかないのもおかしい。
戦争が悪いとか侵略者が悪いとか言う前に、自分の命を大切にすることをメッセージとして伝えられるかどうかも大変重要なジャーナリズムやマスコミの使命だ。
危ないことをやってヒーローだというのは、名聞名利でもあり、人間として謙虚だとは言えない。
サーカスは安全対策が万全だから楽しくて良いのであって、戦場絡みは誰もが肝を冷やす。
ジャーナリズムの重要性をいかに発揮するか?
正気で謙虚な人間なら戦地戦場周辺には行かず、戦後あるいは国外からいかに報道できるかという能力が求められる。長距離ドローンを活用すればよい。
犯罪の現場からのリポートで血生臭い残虐性を伝えるものも、未成年者対策も、本来配慮を要する。
まともな大人なら、戦争ビジネスとしての面をもつ現地リポートはやらない。
殺戮と同等の罪深い行いだ。
視聴者はみんな殺戮と破壊を日常の当たり前のことだと慣らされて、犯罪に罪悪感が薄れるし、ますます人権侵害が横行することになる。
人類を残虐な動物として洗脳していく効果をジャーナリズムの一面として認識しておかねば危険である。
有働アナウンサーはそのあたりを感性として直観しているのではないかなと思った。