FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

モーツァルト ミラーデュエット コンサートとレッスンの往還

f:id:FujiYama:20220401123504j:plain何年も前に、芸大卒でパリ国立高等を首席ででた姉妹のデュエットコンサートを堪能した。
都心の会場だった。
姉妹とも首席というデュエットはそれは面白いにちがいなく、とても珍しいコンサートでもある。
オイストラフ親子の二重奏の印象が大きいのだけれども、デュエットは当たり前だがバイオリン二本だけで表現する。
息がすべてのコンサートは、見事きれいに合っていて、馴染みの少ない作曲家のものもあり、こんな音楽的世界があるのだなと感心した。
専門的な難易度が高い楽曲の中に、一曲息抜きのような曲がモーツァルトのミラーデュエット。
遊び心そのもののようなシンプルで愉快な曲をいつか弾いてみたいなと願っていた。
最近ふと思った。
そうだレッスンで先生にお願いしてみよう。
いや、そんな厚かましいお願いをしてもよいだろうか、御気分を害しては大変だ。
数ヶ月悩んでからわたしの小難しい表情の真面目指向(オーソドックスなだけだが)のレッスンばかりな感じに、いくばくかの新鮮な風になろうかと浅はかな知恵をめぐらせて思いきってお願いしてみたところ、ご快諾いただいた。
先生は初見でいくぶん恐縮したが、わたしが初見でミスしたところと同じところを一ヶ所だけミスっただけで、とても楽しく弾けた。
そのあとモーツァルトのロンドを指導していただき、なるほどモーツァルトの弾き方はフワフワに弾くのが普通で、プリマドンナみたいにかなり朗々と唱ってしまったことに恥じ入る。シェリングの太めのお手本を選んだ影響も大。モーツァルトポルタメント厳禁なんて常識だが無意識に数ヶ所滑り込む音が入っていた。
楽器がバージョンアップされてから、ボーイングタッチは次第次第に変化して音は深く鮮明になりつつあるその過程が本人の意識に克明だ。
ただ繊細に正確な音程なのではなく、太く強くだけでもなく、右手でフルレンジを調整する技術がわかる段階だ。
いい加減な楽器の表現の幅は狭く曖昧なボケた技術しか育たない。もはや別物、別技能。
家で撮ったミラーデュエットのパート録音を聴くとブラームス作曲の音幅であった。汗。
弾き方を指示どおりモーツァルトにすると、ガラリとモーツァルトに近づくものだ。
協奏曲に戻って再びボーイングタッチをやり直すと、なるほど表現は変わる。
太めのシェリングの演奏のように、個性というものの幅も確かにあるのだが、バリエーションとオーソドックスさが鮮明で豊かなほうが楽しい。
デュエットで呼吸とともに合わせたいところ、呼吸以前に意識して音を作るべきところ、楽器のポテンシャルによる表現の幅、そんなところにあらためて気がつかせていただいたミラーデュエットはまさに学習の機会だった。
わかるようになることは途中経過にすぎなくて、できるようになるのが肝心だから、わたしの先生は素晴らしい先生だと尊敬している。