FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

正義が無実の人たちを殺す ウクライナの蛮勇・向こう見ずな戦争

f:id:FujiYama:20220301210128j:plain昨日か、ウクライナのゼレンスキー大統領をポピュリストだと報じたマスコミがあり、珍しく卓見だと驚いた。
自由と民主主義は正しいし、優れた価値観である。
国の誇りや自決権は尊重されるべきだ。
だから大統領の指揮に理解できるものはある。
停戦交渉は時間かせぎと最終攻撃のための口実という双方の利益になった。
大統領が降伏停戦するように、わたし個人としては祈った。
正義より人命だからである。
ロシアが様子見の序の口程度の攻撃しかしていない今しか停戦の意味はない。
つまりゼレンスキーが開戦の火蓋を切ることになってしまうのは回避して欲しかった。
ドイツが武器供与すると報じられて、これはロシア軍による総攻撃のタイミングが近くなったなと思った。
ウクライナ人は自爆攻撃を選んだ。
とても痛ましく残念なことになった。
しかし自らの選択で自殺する人たちを止める世論がほとんどないのだ。戦争を止める世論が世界中見当たらない。
アメリカは大統領にキエフから退避するよう説得したが、彼は聞き入れない。
ノーマルならとっととポーランド入りして再起をかけるし、一斉に国民に国外へ退避するよう呼び掛ける。
プーチン国際法上たしかに悪いと、ウクライナに正義があるということに酔いしれていてはいけない。
自由と民主主義は完全無欠ではない。
まずは市民の犠牲を最小化するために武装解除と停戦である。
ゼレンスキー大統領のもとで冷静さを失っているウクライナ人たちがたくさん死亡するが、自業自得なのである。
状況がわからず、ロシア軍総攻撃の口実を与え続ける指導者は、ほんとうは英雄ではない。
停戦合意して国民を笑顔にできない役者は心底面白くない。
民を地獄に落とす悪魔の手先はプーチンだけではないのだ。
ロシア軍による総攻撃はもはや正義にかわったのである。
NATO側の武器供与が到着する前にキエフは陥落し、ウクライナ残党狩りがしばらく続く悪夢を見るのは、とても残念だ。
死んで守れるなどという狂気の誇りなど捨ててしまう時なのに。
泥沼裁判よろしく双方正義を主張して殺しあうのが戦争であり、自分が正しいことにはまったくなんの意味もないことに気がつくべきだ。
結局ウクライナ人も悪い。
それが戦争、殺しあいである。
仏教では自分の正義の主張による争いの原因を慢心と我と見る。
戦闘地域から逃げなかった人が砲弾やミサイルで死ぬのは当たり前である。
ましてや武器をとれば殺されるのは当然だ。
大国相手にわざわざなぜ?としか思わない。
自由と民主主義による自滅ゲリラ戦を支援することはわたしにはできない。
子孫のために降伏、逃亡するように切にお願いを申しあげたい。
バイデンさんが見ているものとは別の視点で、これは台湾尖閣とは少し趣が違う案件だ。