FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

また7時間の唱法華題目なんぞ

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数日前7時間も日蓮正宗曼陀羅に南無妙法蓮華経を唱えて、とうとうおかしくなったのだと傍目には映るだろうと思いながら、これはその意味合いをいろいろ考えてもよいという気がした。
昨日改めて7時間唱えるとさすがにイヤ気がさす。
1日は24時間しかない。

人間は24時間を効率的に使って有意義な人生にしようとするが、無駄ばかりしている。
まず肩に力が入りすぎていて、余計なエネルギーを使っている。しなくてもよいことをする。
早すぎる時期に待ちきれない。タイミングを逃して余計な労力を要する。不意な事故や自然災害に予定はひっくり返る。

われわれの知恵では未来なんて絶対にわかるわけがない。
そこで足りない大部分を仏さまに委託委任してしまおうという知恵が唱法華題目の意味合い。
医者や専門家にまかせるのは当たり前なのだから、さらにそれら専門のノウハウを統合最適化して活用するためには、南無妙法蓮華経と唱えればよい。

普通ノーマルに考えて10時間もお題目を唱えるなんてありえない。
ただ暇にしては、おかしい。
のんびりお茶や日向ぼっこでもしているほうがよほど幸福でゆったりしてよい。
なんの意味合いがあるのかわからない。

とりあえず指導に従ってみるのが、人間の行動としてはありきたりだ。
7時間も2日目になるとかなりしんどい。
楽しく唱えている時間が9割程度だからまあまあな感覚だが、さすがに疲れる。
物理的に10時間はかなり厳しい。
8時間睡眠して、仕事用件をいくつか片付けると数時間、準備後片付けを含めた食事や入浴時間にトイレなどに3時間と、大切なバイオリンとの会話時間に3時間必要なので、残りは普通2時間から4時間程度しか残らない。
遊び暮らしている人ならなんとか10時間というのは有り得るかなと思う。

1日丸々暇でも10時間というのは難しい。
これは良いと実感しながらも、生活上不可能ではないかなと思う。
実例があるというから余程家事用件がスムーズで無駄がないはずで、なおかつその気力はなかなかのものだなと感心する。
約5、6時間を毎日という人はお寺に実際おられてその生命力に驚いたが、超人みたいな人がいるものである。
御書をスラスラ読める幸福とセットになっていて、成仏の境地を実感するのは、とても豊かな心と声の響きを堪能できて素晴らしい。
御書が言葉でありながら、理論的でありながら、文章に慈悲の魂をまざまざと感じるようになる。

中途半端な未完成な人間がいかに幸福になっていくのか。
欠けたり尖ったりしている人間がいかに人の役に立つ働きをするか。
仏さまに委託委任しなければ、いくら勉強したとて、家庭も社会もアホ×バカ、マヌケ×バカ、とんま×アホ、ボケ×カス、秀才×悪党、女×カス、男×とんま、、、と無限に人生と努力労力を浪費するしかありえない。
人生うまくいってますか?
いくわけないんです。(大笑い)