FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

大戦と局地的紛争と合法的殺人と学問に王道なし

世界は大戦を回避している。特に五大国を中心に回避は必要な繁栄の基礎だからロシアですら安易に全面戦争はやらない。
イスラム系の地域の紛争や途上国の内戦はあるが、国連の枠組みで対応可能である。海賊対策までやるのだから繁栄が一番なのだ。
今回ロシアはまんまとウクライナ東部の切り取りを進め、軍の配備を正当化したが、そのための戦闘はほぼない。むしろ戦闘がないから正当だという一義はある。数年間の間の一万数千人の犠牲を追悼することは必要だが、世界の繁栄とは別の不運として処理されるのだ。
生物化学兵器も核も使用しておらず、領土拡張にもならず、大量虐殺もなく、地域の内戦を世界が放置していたものを一区切りつけただけである。
不動産事業を国家的にやる上で正攻法。
どこの財閥も事業拡大、収益向上のために日夜努力を惜しまない。
ロシア系か欧米系かという違いはあるが、事業を実施する権利はある。
この前まで国連は中国とその取り巻きのお追従のパーティーをやっていたかと思えば、今度はリングでロシアを集団リンチ。
まあ社交界も下品で野卑な我が私利私欲といがみ合い。
大戦か殺戮は回避しているからマシだと双方自己正当化に余念なく、世界中の貧困支援と継続的教育訓練が後退していることには無頓着。
外交や対話の難しさは、主権者がどこまでかという線引きが国ごとに違うからだ。
こっちは貧乏な酒乱を養わなければならないし、あっちは繁栄の富裕層がご機嫌なら大量死なんて問題ないという社会主義全体主義系と富裕層限定自由社会主義系とでは、土台外交対話は不成立だ。
対話の難しさとツボを外して双方主張するだけなので、ロシアが全面戦争なしにウクライナを実質占領しても物理的に打つ手はない。
人民、市民のための対話外交といっても、ロシアからするとまさにそのためにウクライナ奪還は正当な国家事業である。
ウクライナなしではロシア人が大量に死亡し、他方NATO地域でも貧困層が生命の危機を迎えている。暴発或は軍事侵攻はその生命の危機を迎えている側の正当防衛だ。
空腹と孤独から犯罪に走る人や家族や悪い仲間というのが発生する。イスラムのテロも同じである。
自由主義を尊重し、擁護するためには、心の飢餓と実際の貧困を解決する必要がある。
主権を正しく適正に行使するための心を整えることができる日蓮正宗をおすすめしたい。
収益だけの企業活動だけでは戦争が一番効率のよい世界だという話で、戦争はしないまでも人が大量に死亡すると収益は最大化できるというNATO側の問題ある社会原理の改善の必要性を自覚するために、世界のキリスト教徒たる指導者たちが日蓮正宗に改宗して心を調整する意義は莫大である。
企業の社会的責任とか持続可能なという表面的社交辞令のキリストさまの弱い善意では、現実の紛争やテロまでは抑止できない。
事実ありのままのことである。
主権も自由も大切だし平和と繁栄が一番なのは理解できるのだから、あとは強い忍耐心ある慈悲の魂をじっくり鍛え上げて、世界の貧困教育支援に本腰を入れるだけである。
日蓮正宗でしかそんなことは実現しない。
改善の余地のある人間しかこの世には存在していない。
自由主義陣営が常に謙虚ならロシアは追い詰められなかった。かつロシア正教の独自性は災いの遠因になっている。
プーチンはシンプルにそこそこ優秀な役者政治家であり、アメリカ財閥やヒトラーほどの大量殺人はやっていない。ウクライナの大統領は現実に悲喜劇的なあがきが芸風だったのかもしれない。みなさん笑えない喜劇役者。
共通の敵を定めて団結したら戦争は正当になるが、その前段階は共同体からの排除だ。
江戸期にはえたひにんが悪い、大正期には朝鮮人が井戸に毒を、太平洋戦争では鬼畜米英、今は中国軍、さらにNATOが悪いかロシアが悪いというそこには確実に欲望と殺人の正当化が潜んでいる。働かない人は悪いとすれば性風俗も低賃金労働も正義であり、同じ理屈である。
チャイコフスキーの序曲1812年が再び聞こえてくる日はそう遠くないのかも知れない。
もしそうなっても個人的にはただの正当防衛にしか見えない。