FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

サイレントナイトの落とし込み クラシックで言えばそんなに古くない

f:id:FujiYama:20211107074508j:plain教会やYouTubeなどでお馴染みのきよしこの夜。歌詞は下に貼ってあります。
キリストの誕生を祝った歌でありながら、この地球はキリスト文明が支配するのだという宣言にもなっている。ちょうど君が代で皇統が永遠に続くという歌詞とイメージがかぶる。どちらもこの世界は我が物である。
キリスト教会では礼拝に禅の要素が強い。心を鎮めて神の愛を受けるという面がある。
この心を鎮めるという儀式や習慣は、ちょうどサイレントナイトの心境と重なる。
尊い子どもが母に抱かれて安心している心境からは、基本的に危険思想は生まれない。
母が子どもを尊く思っている限りにおいて、平和思想が生まれる。
子どもよりお金という心が強くなったぶんだけ、侵略、殺戮、支配しなければならない。
宗教はどこまでも道具である。
子どもを犠牲にしてでも浪費しようという決意をする夜。愛を殺し心を殺して我が子に。
戦慄のサイレントナイト。
堕落したマリアがテロリストを養成する。
教会と音楽は美しい世界を描くが、われわれの心は宗教というツールをきちんと選んで使いこなせているだろうか?
汚泥のその夜。きよしこの夜。
現実の人間の失敗例が多すぎて、宗教も信じられないし、お金も信じられないし、科学も悪用され、自己の内面をくん発しなければもたない。他人事でありながら、他人の不幸が降りかかってくる。
マリア、聖母が美しいことになっているが、あまりに稀な人だと参考にならず、逆にありふれた浪費家のおばちゃんも要らない。

オーストリアの教会で神父が1816年に作詞し、1818年初演という時代からは、まだまだ残虐な民間風俗が広くのこっていたことと、神父の宣教の野心が色濃く認められることが特徴的。汚泥の現実があればこその静けさ、平和のサイレントナイトでもある。
両極端に走らないちょうどよい心の損益分岐点を求めて十字架に跪いて、欧米型文化がほどほどの成果を収めているのも事実であり、悲惨な汚泥とチャイナの汚泥が飛び散るのも事実である。やるべき戦闘に勝利し、この世界を平和と幸福で満たすことに微塵も迷いは要らない。
仏教でも戦乱や戦闘の汚泥は常識である。
すべては平和(安穏)のため。
美しい世界のため。

Silent night! Holy night!
All is calm, all is bright
Round yon virgin mother and child!
Holy infant, so tender and mild,
Sleep in heavenly peace!
Sleep in heavenly peace!

静かな夜 聖なる夜
すべてが穏やかで輝き
純潔なる聖母と御子を包む
聖なる幼な子 優しく穏やか
天上の静けさの中で眠る

Silent night! Holy night!
Shepherds quake at the sight!
Glories stream from heaven afar,
Heavenly hosts sing Alleluia!
Christ the Saviour is born!
Christ the Saviour is born!

静かな夜 聖なる夜
羊飼いらは その光景に震える
神の栄光が天界から降り注ぎ
天の使いがハレルヤと賛歌を捧げる
救い主キリストは降誕せり

Silent night! Holy night!
Son of God, love's pure light
Radiant beams from thy holy face
With the dawn of redeeming grace,
Jesus, Lord, at thy birth!
Jesus, Lord, at thy birth!

静かな夜 聖なる夜
神の子 純粋なる愛の光
聖なる尊顔は光あふれ
救いの恵みの兆しなり
わが主イエス 降誕せり