FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

都心と田舎と飛行機と

f:id:FujiYama:20211019142710j:plain直線距離で羽田空港まで約13kmの近所を歩いていて、あんまり次から次に、数分間隔でジェット旅客機が飛んでいて、それなりに音がするものだから写真にとってみた。
小さくて豆粒みたいにしか写らなかった素人写真だが、そのきちんととれないズレに、過去の懐かしい情景が浮かんだ。
写真までとろうと思ったのは、二機が同時に視野に入っていることに気が付いたからで、最初の数分間隔の航路と別の数分間隔の航路があって過密だなあと感心したからだ。
マンションの窓からはブラックホークとかいう米軍ヘリも時々飛んでいる音がするが、旅客機は1航路しか見えない。

私が生まれた故郷には、ミニ空港があって、当時は多分国内線だけで、家の生活圏は航路になっていなかった。
別の50kmも離れた国際空港と羽田の航路を飛ぶ国内線だけが、かなり高い高度を飛んでいた。
エンジン音はまったくしなかった。
豆粒より小さかった。

飛行機といえば遠出に速くて便利で安全で夢があるものだと思っていたが、成人するとはるか上空を音もたてずに移動していた地方航路の旅客機があまりにのどかで懐かしく感じるようになった。1時間に一機くらいか。視力は2・0より良かった。

もう何年か飛行機を使う機会がない。
自分が搭乗する必要がなくなってとても便利になったのと、なんだか過密の便利さに楽しくなりながら、直線で100メートル走ができた広い運動場とどこまでも青い空とポツンと1人孤独な心だった40年近く前の自分の小学校の頃を思い出すと、いろいろ変わっているようで、なんにも変わっていないんだなあと思った。
老化や成長や経験は、自分を微塵も変えなかった。
身近だった人や親族も、縁ある人たちも、国家も宗教も科学も、自分を変えることはできなかった。
自分を変えるなんて不可能だし、変えようとするのはバカげている。
自然にできることをすることしかできない。
無理がきくのは若さと一時期。
大自然と個人の孤独。
科学文明は温暖湿潤気候と同様に便利なだけで、私の心は永遠になにも変わらない。
ただ幸福を求め続ける。

墜落しないようにする心に航路の調整は必要ない。
機体やエンジンやパーツがボロボロになっても手入れしながら楽しむしかない。
宗教というのは葬式くらいでしか役に立たないが、日蓮と釈迦の対話はよくよく読んでみると科学と環境の使い方が変わってためになって、人生航路の操縦アプリになる。
難解だが正しく解釈すれば、なにもかもスッキリする。
健康にお幸せに。
f:id:FujiYama:20211019144444j:plain