FujiYama’s blog

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精神修養としてのバイオリンその2

去年の暮れ12月25日に記事を書いて、なんだか難行苦行に立ち向かわなければならないような面倒なバイオリンのイメージなのだが、その2を書いておきたい。
もちろんワクワクする修養として。
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楽器が新しく健康になったら、途端に単調なだけだった基礎練習が楽しくなった。
1音だす前、楽器を目にし手に触れる段階から気持ちが明るくなった。
最初の調弦(チューニング)の1音ですでにエクスタシー。
これからはじまる音の世界に期待は膨らむ。
特に全然違うのは、重音と高音の音程の聞き取りやすさと、そこからくる集中のしやすさ。
それまで義務感半分だった音階が急に好きになった。
微妙なズレの修正は脳の快感である。
以前チューニングを優先して、ナイロン弦と全弦アジャスター装着というこっぱずかしい試みをしてみたが、そういう無駄な生き恥はさらさなくてよい。
よく響く楽器にガット弦なら、ナチュラルにあっさり正確な調弦ができてしまう。
努力なんてバカらしいとつくづく思う。
8年前にある著名な楽器商が私にナイロン弦を勧めたのだが、素直に採用した時間がもったいなかった。沼にはめられただけ。
とにかくガット弦は正確な音程をとりやすい。
プレーンガットなぞは数年もつこともあるから価格はかなり安い。ただ巻線ガット弦のA線がほつれやすいのは難点で、違う意味でキレないように精神修養が必要かもしれない。
いずれにせよ、よい楽器とガット弦なら、精神修養の内容が変わる。
やや苦役や訓練に耐えるような内容の比重が大きかったのは、ひとえに条件が悪かったのである。
心静かに音に集中して、美しいボーイングと音程を確認しながらアップできるのは、とても快適だ。
そのアップの後、部分練習、各種弓使い、協奏曲、小品の練習に移ることができる日は至福である。
バタバタしなくてよい日は本当に貴重で、修養というか養生というか、ありがたみを感じる日もある。
いろんな条件でレッスン回数はそれほど多くないから、発表の機会とあわせて、まだまだその修養というか慣れが必要な状況にあり、まだまだこれから良くなっていく余地が見えるのは、ある意味幸せでもあり、絶望的でもある。
そこはアマチュアというのはなにかと全力で取り組めないことが多いので、いかに楽しむかというのも修養であり技量になってくる。
年齢ではなく、基礎練習に取り組んで向上(人によっては回復)できる希望ある日々こそ修練の醍醐味なのかなと思う今日この頃。
人類史と尊い犠牲に深く感謝したくなる心境です。
地球上で無駄な犠牲や犬死がたったひとつでも起きないように切望する心で、毎日バイオリンを手にします。

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