FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

宗教の魔性と日本に蔓延している人間不信

f:id:FujiYama:20210901003925j:plain宗教をやっている人たちを見てもあまりよい印象がない。
新興宗教は論外だし、羽振りのよい富裕層のための伝統宗教にお説教されて喜ぶ庶民など皆無である。
他人の幸福のためだと善意の勧誘をし、なにかの先生、指導者などの肩書きまでフル活用で助言する。
しかしそれは我田引水の営業成績のためなので誰もろくに指導助言など理解しようとすらしない。自分の顔を潰された気持ちになり、言うことを聞かない相手を恨む人たち。
そこで善意は一転して悪意のこきおろしが始まる。他人の不幸を願い、報いだ、罰当たりだととにかく他人の苦悩をあざける人たち。
他人に時には強制強要したり、強圧的上から目線で誘導しようとすらする。
宗教の絶対的正義で欲望の正当化をし、ご利益とか功徳とか言って、他人の不幸がなによりのご馳走になるらしい。
ろくな人間にならない。
ただのイヤな人たち。
名聞名利、私利私欲の宗教という人間共同体の悪知恵は、しかし一応個人の幸福追求権として公認のものでもある。

上納金システムは個人的には宗教内の地位確保のため、社会的には宗教法人の地位確保のためであり、上限なし。いくら貢いでも不安は尽きず、どこまでやっても死ぬ恐怖や様々なはっぱかけが波状攻撃をかけてくる。

日本には良識的プロテスタントが出ないため改善はないまま。
そうなると選択肢は欧米知識人の良識的宗教か無宗教や自然崇拝で家計を守るだけになる。
政治は家計のために動くことができるが、古いカトリックや日本人の価値観では生活支援は不正扱いでまず期待できない。
いまだに生活保護は使えない制度として認知されている。
経済政策や福祉医療に対する偏見は根強い。
コロナでも自己責任だ。
気合いや根性や信心で乗り切る国民性を当たり前に当然だと思っている日本人は多い。

政治不信と宗教離れと人間不信
権力者が不正をするし、宗教は金儲けのためにやかましく細々と指示して、誰もが家計だけ私利私欲だけ名聞名利だけとなれば、他人はまったく信じられない。
ながらく続くこの人間疎外と人間不信の社会状況でますます財閥と企業は丸儲けになる。

宗教は集金業務が主たる目的で関われば資産をむしりとられるだけのもの。だいたい科学性のないしんどいだけ、辛いだけのお説教だという程度の認識レベルに終わる。
宗教の営利性は目を覆わんばかり。
核家族化に追い打ちをかけるように、バブル崩壊後、家庭や親族のつながりが稀薄な人たちが激増した。
さて、現代の日本人は、一体どこで共同体を維持するか?
暇とカネがある人たちは、ネット通販依存になりがちで、iPhone依存症は人間不信の心の隙間を埋めてくれる気がするらしい。
仕事や趣味嗜好のつながりは大切な幸福だが、それもまた本当に幸福だとは言い切れない。貧乏より好きなことができたらマシだというだけのもの。分野が限定的な共同体の弱みは、差異を乗り越えがたいところ。取引や趣味嗜好の共通性が唯一の取り柄なのでどうしようもない。
浪費するだけの青春と人生。

ここまで前提を考えて確認してきて、唯一日蓮正宗の唱題とその合唱を勧める。
f:id:FujiYama:20210901004800j:plain
コスパ最強の日蓮正宗は、低額な単純経費と家計節約指向が標準的で、肝心なものには予算は惜しまず幸福を満喫できる。勧誘なんて相手を恨むべくもない声掛け情報提供止まり。勤行を含めて状況と希望に応じて時間をかければよい。時間、カネ、心のすべてのコスパがよいのは、宗教の中では他では絶対ありえないし、仕事や学業をはかどらせる。寺に行ってみれば、ほどなくしてすぐに唱題の効果に気が付いて、数ヵ月から数年の間に、人間不信や手のつかなかったような自己の課題がまるで絡んだ糸がほぐれるように解消に向かう。どんな人でも、不思議な心の変化を認め、視点視界の劇的進化に驚きと感動を覚える。

慣れてくると平均1日1時間余り、月に4日前後3時間程度の時間をかけ、満足感からすると申し訳ない程度の、月にわずか数千円の経費をかけているに過ぎない。
寺院参詣や仏壇に手を合わせるのには、少し無理をするくらいの感覚が結果的にちょうどよい。
忙しくて眠る暇もない人は1日1時間すらかけられないが、それでも時期的には問題ない。
大変なのは富士宮大石寺までの日程と旅費の心配くらいだ。

それまでの宗教や身分階級を全否定した釈迦もすごかったが、釈迦の予言どおりの日蓮正宗もまた全宗教を完全否定するだけの効果抜群の正統派である。

どんなに仕事がうまくいっていても、どんなに頭がよくても、どんなに楽しいことがあっても、またそれらの逆でも、やるべきことは日蓮正宗の唱題という単純明快な修行。
そこから学業、訓練、仕事、趣味、健康などあらゆる生活の事象課題は生き生きと躍動し、深化する。

一般人、無宗教、神仏の伝統宗教、科学信仰、自然崇拝などと比較すると本当によくわかるので、絶対の自信をもってお勧めできる。

みなさんお幸せに。