世界中で徒弟制度で優良製品を安価に提供する仕組みがある。当たり前に確実な職人の仕事を前提に製品はできるし、きちんとした農家によって安全な農産物が市場に出回る。
給与水準が低すぎると、この社会システムは維持できなくなる。
給与は多少高くてもそれほどの問題にはならないが、商品価格を押し上げない程度に抑制されなければならない。
高所得の正義と低所得の役割という自由主義経済システムだから、収益と給与のバランスをとりながら社会全体として繁栄をキープしていかなければならない。国民の健康的な生活のために。
本来サステナビリティというのはそういう意味だが、現代社会において実際問題はまったく違う意味で使われている。
うどんやおにぎりが安くて皆さん安心な文化的社会を維持している。
今、そのおにぎりやパンの値段までもが急騰しているので、さすがにアホでも気が付く。
欧州で不当に高いものは裁判で断罪される。材料がいくらで何人が何時間かけてどれくらいの設備を使って製造した商品の適正価格から考えて、その値段は不当であるという判決が実際になされるので、例えばセブンイレブンの小さな薄いバームクーヘンが300円だと不当価格だという主張が成立するわけだ。60円のコッペパンよりは原価が高いが、さすがに高過ぎ。でも日本では高くして収益をあげて株価をあげることがサステナビリティ。
月給24万円では残業もあるし自活はほぼ無理で、しかもコンビニ商品は近年2割から10割の値上げ、格安品はすぐ壊れて使い物にならず、このまま働き続けるのも難しいと感じる人たちが増えている。
労働者のサステナビリティは完全に無視されている。
こういう日本経済になった背景には冷笑個人主義と共同体意識低下があり、すべて他人事だしそれぞれの事情だしで片付けていくと、会社はその隙を付いて、払うべき給与水準を下げても、仕事が続かなくても、誰も関与しないから何の問題もないことになった。
もはや個人の幸福とセーフティネットの虚構に皆さんがなんとなくムードで丸め込まれる時代になった。個人の幸福や自由という夢の魔法にかけられて、ほとんど生活保護レベルとか最低時給以下の生活が当たり前になった。
なぜ政治が悪くなるかという問題は人類全体の問題で、日本は途上国の一員として分類しなければならない状況にある。先進国なら給与水準はどの国でも2割以上上がっている。
今の低所得化の波は90年代から自公政権と旧民主党のもとで推進されてきた。かつて年金を10年かければ受け取れるとアピールしていた頃も、私はおかしなことだと直覚した。給与水準の低下とセットなのだからそんな余計な改悪は間違いである。
実に政治と経済と給与は連動している。
学術的に説明できるだけでなく、その根本的なメカニズムは日蓮の立正安国論のとおり、国の宗教的間違いに起因している。
正社員の月給が異常に押さえられて、しかもかなりの残業が当たり前な現状は、ユダヤキリスト圏の繁栄のための集金システムが原因だ。日本の神道企業人たちはせっせと日本人から搾り取った大金を欧米に貢ぐだけだ。昔は伝統仏教などが神道に貢ぐシステムで国民が国のために犠牲にされていたから、そこを比喩的に日蓮は指摘している。現代社会は上納金をさらにもっと必要としている。国際競争力のため、企業のサステナビリティのため、官僚と国家神道のために、皆さんの労働は安く買い叩かれている。
ユダヤキリスト圏の文化ではありえない。あちらでは、たいていの労働は正当に適正に評価されている。生活費も適正に必要と認められているから、緊急時や困窮時に給付金を素早く支給する。
欧州では80万円のバイオリンを800万円で販売すると実際の裁判で断罪されるが、日本ではなんら問題のない商取引だ。
騙されて800万円支払って、後から気が付いてもなんの救済もない。
最低時給以下で懸命に誠実に働いても、収益のための道具でしかない。
日本人は苦しみ抜いて死んでいけという上級国民や神道の富裕層の目論見が異常に残虐なものに思えるのは私だけだろうか?
少子化の原因も経済の衰退も国際競争力の低下も、宗教の間違いからくる政治の間違いが直接の原因だ。
多くの救いのない日本人たちは、本当にお気の毒な人生を送るしかない。
なんとなく宗教を考え、政治に盲従し、不当な収益のためにタダ働きをしていれば、その不幸や不満や不当性は、なんの不思議もない、たんなる道理に過ぎない。
好きでタダ働きしている日本人が増えたとも言える。最低時給以下を好む人たちはマゾヒストでもある。健康を害するレベルだ。
なんとなく四季があって水資源も豊かだからお金さえあれば幸せな人生だと思えるんだろう。
ニュースやそこここの路傍で、日本列島の悪夢の続きをこれからも連日見なければならない。
私は日蓮正宗の門をくぐり、唱題で魂を洗い、あらゆる不幸を退治できるという秘術を知って心底救われた。
現状はほとんど改善なんかしないのだから、もしマゾヒストでないのなら、多少無理してでも日蓮正宗をやる価値はある。この一生は一回限りで、今日という日はもう二度と来ない。
同じ満身創痍で懸命に努力するのであれば、あまり酷いだけの成功や幸福を選ぶべきではないと思う。魂がすさんで人を見下すようになったら、それが人生の終わりなのだなと思う。
努力だけではどうにもならない。