FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

音楽療法は公式化できない

f:id:FujiYama:20210606215459j:plain日本で音楽療法に対する関心や期待が高まってもうずいぶん経つ。

議論の内容がある程度出揃ってきて、一考してみると公式化がとても難しいことに気が付いた。

なぜ欧米では公的な医療行為として実施できるのかという疑問もある。

東北大学未来科学技術共同研究センターの市江雅芳氏によると米国の民間医療保険制度がその理由であるというのだが、それはそのまま厚労省が渋っているから日本では認可されないだけだということである。あたかも民間保険なら音楽療法が安易に実現されるかのような印象を持ってしまうのは好ましくなく、日本の場合は国の方針の問題だ。

しかし肝心な問題は医療保険の問題ではなく、音楽療法の有効性と安全性という面の実証がなされるかどうかである。厚労省の立場では、医療の有効性と安全性について認めると医療費が増大するから認めたくない。東北大学における2004年から5年間の研究実験において自閉症児に明らかな意思疎通等の能力向上が認められた。多くの現場でリハビリ分野や認知症患者に対する成果もそれなりに認められている。しかし慶応義塾大学保健管理センターの大野裕氏のH16~18の調査票から精神医療においてはその効果は検証できなかったとされた。

いくつかの文書を読んでいてわかるのは、学術的な手続きを経てきちんとした有効性と安全性を認めようとするとそれなりの期間とスポンサーが必要になる。音楽療法に興味関心があって利用したいという医師らと患者家族はたくさんいるのだが、そのための研究の機会がないのが実情である。国が本来は研究費を惜しんではならないところなのだが、企業と国が消極的なのでとても難しい。

もうひとつは、東北大学の市江氏が言うとおり、音楽療法士の資質やレベルの問題がある。音楽療法学会のHPなどを見ると、課題曲にそれほど専門性が高い試験はない。人を小ばかにしたような楽曲名が並ぶ。少しピアノが演奏できて簡易的なカリキュラムを経ると資格が取得できる。医療知識があまりにないと有効性も不確かなら安全性に問題が生ずるのが当然である。医師との連携能力がそもそも乏しい人でも簡単に資格が取れているので、公的な医療として取扱うのは難しい現状がある。市江氏の考察からは、音大出身者が医学部で解剖等の実習をしながら医療知識をきちんと学ぶ制度を国がきちんと整備した上で、国家資格として認証するのが一番確実だということになる。

現状では国としては音楽療法士という名称すら使用できない。

厚労省と研究者たちが想定している音楽療法および音楽療法士の概念や定義と民間団体や一般的にイメージしているそれとの間にはかなりの開きがあり、問題は国がハイレベル音楽療法を富裕層で独占させても構わないという態度を変えないことなのかもしれない。国は音大卒の完璧な音楽家によるものしか認めようとはしないし、民間は現状楽しく遊びたいだけという場合、そこには明らかに経費、診療報酬の狙いと対象が異なることが明瞭になる。民間業者はただ邪悪な我田引水だと批判されるかもしれない。

きちんとした音楽家に形式化された療法として確立されたものとして実施させるのならば、医師の下で有効性安全性ともに確認できるので、これは研究費を大学に支給すれば解決する問題でもある。

そこまできちんとした手順を経ることができないままに放置することが、とてつもない民間の力のロスになることは明らかである。効果も安全性もよくわからない各個人のノウハウだけに頼った音楽療法もどきにどれだけ多くの情熱と時間と経費が割かれ続けるのだろうか。民間学会の記事を読んでいると非常に独善的な自己満足にも似た喜びの声が数多く認められる。とてもよいことをしているのだという思い込みが激しい人が多い。果たして患者さんたちは良いカモにされるだけでよいのだろうか?

現状、音楽は癒しリラクゼーション、音楽鑑賞のレクリエーションとして有効活用するくらいがほどよい使い方ということになろう。

連日開催されるたくさんのコンサート情報を眺めていると、実力ある音楽家の果たす役割が効果的に発揮されておらず、療法の需要が大きいというのは、大都市部で過密に音楽家が過剰な演奏供給を続けている音楽界の課題を解消するためのヒントなのだと思うが、地方の医療機関や老人施設などにわざわざ勤務したいという音楽家は圧倒的に少ないのではないだろうか。それでも地方都市には音大卒が相当数住んでいるから、音楽療法の日本における確立のために国が予算を使うのは、地方創生にとても有効な使い方だと思うが・・・。

地方の方方は、この件でよほど官僚や首都人から馬鹿にされているなと気が付かないとまさにアホである。厚労省も学者も、医学も西洋中心なら音楽も西洋中心でこの価値観が変わらないのだが、そこに日本アジアの価値観を織り込むという視点で政府と政策に関与できるような優れた政治家の出現が待ち望まれる。東対西の対立構図ではなく、東西をうまく組み合わせた地方と国民を豊かにする政策に転換してほしいのは、音楽療法だけにとどまらない。必要な予算を惜しんではならない。

公式化してほしいのは、日本の豊かさの最大化のための政策づくりのほうで最優先は国家公務員がその原則を理解することかもしれない。