FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

尊敬と盲従だけでは損害が大きい 人間やめますか外道やめますか

f:id:FujiYama:20210604164752j:plain現代の日本人は、古代中世と変わって欧米の文化を尊敬するようになった。欧米はユダヤキリスト教文化を根本に持ちながらダイナミックにその質を向上させ変化しながら大きく発展してきたことは、誰もが知るところだ。

日本はアジアに立地しているので、アジア文化が根強く遺っているが、果たしてこれを無視することができるかどうか考えてみなければ、今の不確かな時代にしっかりと思考判断することはやや難しいことになる。

今は欧米の時代だから、中国などに従うのは商売上のためだけであって、別に中国に盲従するつもりなんてサラサラない日本人が大多数である。

しかし見落としてはならないことが二点あり、古代中国の儒教思想というものと中国を経由して日本で華開いた法華宗の文化である。

人権問題を討議討論するのは欧米の特権であると考え違いをして、中国にだけウイグルにだけ人権問題があることになっていないか?

儒教思想というのが、皇帝と将軍を頂点にした官僚社会を高度に発展させ、それに従うのが一般人の宿命というアジアの社会観というものがあり、これが見事にきっちり守られているのが、日本文化と中国文化の特徴だ。そして儒教が中国発であるからこそ、中国共産党政権の中で汚職対策というのが極めて厳格に行われ、日本ではほとんど取り上げられない。マスコミが汚職を取り上げると、かえってマスコミが攻撃される。

宗教思想の中で、儒教は外道に位置付けられる。いわゆる神を拝む自然崇拝的原始宗教の一つである。儒教の成立はずいぶん古いから、ユダヤキリスト教よりはるかに早い時期に人間性を説いていたことになる。今の欧米の人権思想は数百年遅れて発達した後進思想である。つまり人権感覚の初歩ではあるが、アジアにはもともと人間性という概念があったことはかなり重要なポイントの一つ目である。

ではその儒教思想の実現力、実現性という点から考えると極めて弱い。部下が上司に忠言し、上司が部下に礼儀正しいなんて夢のような話で、まずほとんどない。自分の立場から考えて目先の利益で態度を変え、危なくなったら逃げるが勝ちだというのが、世界人類の常識であった。

そこに仏教が伝来して状況が変わってくる。儒家というものの指導力や説得力を凌駕する仏教思想は、ある意味儒家にとって脅威であった。そこで中国社会において仏教は四分五裂に誘導される。単なる人間性の話、いいはなしだけではなく、よい人間関係の実現性を問うた修行法の話も加わると流派がたくさんできる。そこに最高指導力を発揮した釈迦の教えと違うものや偏ったものがたくさん出る。そして人間性の実現性がないものがはびこった。

そこに相応のレベルで釈迦の教えを解読し、討論してなにが仏教なのかをきちんと学者として証明したのが、天台大師であり日本の伝教大師である。中国の皇帝の監督の下で公開討論を行い、はっきりとした仏教の正しさを論証する。日本では天皇の監督の下で同様に討論がされた。

なにが違うのか、社会における人間性の実現の根拠となる仏典について明確にしたのが天台伝教であった。それは儒家がまだ残遺しており、議論の土台となる人間の知性のレベルがあったから、そのような討議が実現したのであり、時代が移ると討議自体が困難になる。

現代のわれわれはGAFAの文化、欧米の文化の中で生きており、アジアにそれほど優れた思想哲学が存在していることを知らない。共生の社会を実現しようというただのキレイごとや欧米の指摘する日本の人権問題などの報道を見て、よくわからないなあと思う人が大半だろう。

しかしスマホを選ぶにしても、趣味で楽器を選ぶにしても、進学するときの専門を選ぶにしても、就職先の社長の哲学を学ぼうとしても、人生設計を立てようとしても、なにからなにまで思想哲学がしっかりしていなければ、そんなもの選びようがないのが実際のところだ。むしろ会社がこういう会社だから、あそこの政党を選び、このスマホにしておいて、人生設計はだいたいこんなものと思っているような場合も多い。順番が環境優先で自分が築けないままズルズルと人生を終えることになる。

薬学を学ぼうとして西洋医学を学んで、結局東洋漢方の利点の大きさに驚異的な価値があることに気が付くというひとつのありがちなパターンがある。

もうひとつの重要な視点がある。

日本文化における神と仏教の歴史である。中国と同じように神がいて人間性は後回しにされて儒教や仏教が流入してきたが、伝教大師も時代にそぐわないとして法華宗が形骸化する。釈迦がナンバーワンの指導力、影響力をもっていたので、仏教自体は日本にも伝わり乱立したが、教えと具体的修行法が確立することがなかった。儒家の感じた脅威と同じように日本の神道が脅威を感じて粛清をはかろうとしたこともあり、四分五裂。釈迦はそういう流れ、変遷、流転が行われることを見通していたから、末法という時代区分を明示していた。

釈迦のいたインドあたりからみて東北の果てに仏教が伝わってその後仏教が乱立して忘却される頃、それは釈迦が亡くなって二五〇〇年後であると明言したのである。人間性が忘却されるひどいめちゃくちゃな時代が必ず来るという。

その後の日蓮の出現と現代日本におけるその影響力の大きさについて、別に記事にしたことがある。日蓮系の宗派だけで日本人口の三分の一程度3000万人以上が信者をやっている。

しかし数が多いだけでは、人間性の高い社会は実現されない。質の問題がある。

二五〇〇年しか有効期限がなかった釈迦の教えと地球滅亡の日まで有効な日蓮の教えであるが、残念ながら質がきちんとした信者は80万人しかいない。それも在日外国人を含んでいる。

さてユダヤの知恵にまつわる本がたくさん出版され、私も20年以上も昔に読んだことがあるが、彼らの古代からの知恵は生活習慣を含めて相当程度レベルが高い。ユダヤの経典は読んだことはないが、生活上のしきたりが特に賢いすばらしいものになっている。それなら私もやってみたいと思うような合理的な教えであるが、残念ながらユダヤ人と結婚しない限りは入ることができないシステムになっている。そこに教えのレベルの高さと厳格さと純粋性が護られる仕組みがあるわけだ。少しでも違うことをすれば、即刻死んでしまうような目に遭うという親族システムだからこそ、教えが五〇〇〇年も護られる。バイオリニストの系譜の主流と実力が見事ユダヤ系である。彼らは自分たちの利益や資産を人類に分け与えるつもりはまったくない。ユダヤ人に対する批判をかわすためにあらゆる宣伝工作を行い、学者を使って理論武装し、芸術家たちを育成してマスコミプロパガンダに余念がない。一歩間違えばホロコーストの被害にあうレベルの私利私欲の極めつけなのである。

そのユダヤの落とし子であるイエスキリストの開いた奴隷的立場のための教えがキリスト教であるから、その教えは非常にシビアでゆとりのかけらもない。優秀なユダヤのしもべとして信徒を育成するので、支配側と殺しの快感を第一にすれば、兵士になりたければキリスト教が向いているのかもしれない。常にイエスかノーで答えさせられるシステムでは、誰もが間違えるように仕向けられるということに気が付くのが、いわゆる儒教でいう仁のレベルであるが、現代人にそこまでの余裕があるだろうか?中国共産党がイヤだからと言って、奴隷のための宗教や文化を絶対のものとして選んでいるバカな日本人が最近急増していることは、ネットや維新政党支持率などで確認できる。

中国に学ぶということ、東大の教養レベルを基準にするということは、実現性のないよりよい社会建設にホケーっとついていくことになる。人間性がある社会なんてエリートのキレイごとに終わっているわけだ。

これも記事にしたが、バイデンか習近平かという二者択一の場合、どちらでもないというのが正しい。とりあえずバイデンとしてあったが、日本人は日本人のために、その深い部分について考える必要がある。

そして東西両陣営で人間性とか仁という概念があるものの、時代の流れで言えば、アジアではどんどん衰退したあと、日蓮で盛り返し、欧米では最初から奴隷レベルだったものが近代化の過程で人間性を尊重するようになった。

第二次世界大戦ののち、ユダヤ人はナチスの虐殺の反動できわめて増長し繁栄を極めて、世界の流れを再び暗黒の奴隷社会に仕向けつつある。アメリカの軍事力を有効に使いながら、世界をユダヤの市場として成立させるべく国連や関係機関を駆使してその支配下に置いている。中国もその配下になりつつ国勢を伸ばし、今になってウイグル人権問題で叩かれているが、本来ユダヤキリスト教社会がそのように仕向けてきたという面がある。ユダヤの下に積極的についたのが、アメリカであり、政治不信が極まり、二大政党制である。

誰がどう見てもユダヤ人はあくどい。

誰がどう見ても華僑はあくどい。

誰がどう見ても神道キリスト教の一般大衆は捨て駒にされる。

みなさんが奴隷を志願し、兵士を志願する心をもっているのであれば、ユダヤ人と華僑の世界で問題がないが、環境、人権、紛争、その他の重大な地球的規模の問題群が現実に迫っているからには、彼らに世界の実権を任せきりにするのは、いかがかと思う。

財閥に、銀行に、勤務先に、お世話になった人に、上司に、有力者に、政治家に、官僚に、へつらってなんでもハイハイと従うだけの日本人、あるいは人類というものは、悲惨な生物であり、むごたらしく人生を送ることしかできず、今後日本人の平均寿命は短くなっていくことが確実なので、いちおう書き記しておく。

ユダヤキリスト教のカネだけ今だけ自分だけの世界人類がイヤだというなら、日蓮正宗仁義礼智信を実現し、世界人類を進化させるしかない。

仏教の正統日蓮正宗にはその力がある。

人が聞くか聞かないかなんて関係ないのである。

権利も権限も権能も無関係に、言うべきことが言える人間にまずならなければならない。

いや日蓮正宗にしかその力はない。