FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

国家と国民

f:id:FujiYama:20210602200327j:plain2013年9月東京オリンピックが開催されることが決まった時、個人的にはため息をついて嘆きたい思いだったことを思い出す。オリンピックの意義を考えると途上国の開発援助事業としてやるべきで、先進国ではメリットがほぼない。健康増進とインフラ整備をするための余地は、途上国にあり、先進国のまた超過密都市東京なんてありえないと思った。

世論は開催反対が過半数だが、そこで政府や東京都は強行開催判断を繰り返しているので、おそらく無理矢理開催するのだろうが、また強行する都をふくむ国家というのはなんなのかということを考えさせられる。

アスリートに競技をさせて、それで政治家がそれを仕切っている。オリンピック関連の業務報酬が報道されているが、とんでもない金額が支払われる。テレビ放映の利権も大きい。半分程度しか観客を呼べないという利権オンリーの大会を強行する。

オリンピック出場者も政治家も政府関係の学者もいわゆる特別な立場に当たるから、その彼らの利益のためには、あらゆるものを利用しつくす。医師看護師もボランティアらしい。政治が医療をミスリードして大阪では医療体制がひっ迫。とばっちりは一般市民、一般国民であって、いつ生命の危機が訪れて見殺しにされるかわからない。

ただでさえ政治家が特別な存在であるということが、国会の議論を浮つかせており、貧困層は急増しているが、相変わらず生活保護すら贅沢であるとして、貧困層やシングルマザーなどは生活がひっ迫し、政府の貧困対策はわずか20万世帯500億円のみであると報じられた。一部のためのオリンピックに3兆円、困っていない層のためのゴートゥーに1兆円。なにも対策をしていないわけではないという申し開きができるようにしたが、申し訳程度の対策では、国家経済や税収が上がるわけがない。しかも苦悩の果ての精神保健制度は隔離主義の虐殺制度として機能している。

政府の立場というのは、日本国憲法に従って全国民がまともな生活を送れるように仕組みを作ることであろうが、実際にはエリートと特別な立場のごく一部のための優待システムにすぎない。むしろ一般国民はただの生物として教育も満足に受けられずスキル育成の機会も与えられずに自然死することが当然であるというやり方である。本心は医療すら受けさせたくない。

政府に入ると官僚だけではなく議員も含めて、一般国民にあがかせるだけあがかせて、働かせるだけ働かせてまともな報酬も約束しないし、年金制度も不十分なもので老後も約束されないアマゾン社会を常識とするように洗脳される。政府主導の日本文化は国民が犬死するように仕組んであるとしか考えられない。日本国憲法を否定する宗教的教育研修を繰り返し受けているのであろう。

内閣の参与だった藤井教授らが語るところによると、財務省の官僚が政治家に均衡財政をレクチャーし続けているという。まさに予算で地方と経済を縛り上げて常に飢えた状態にしておいて、エリートと特別な存在のためだけに国民を酷使するやり方が具体的に存在しているのだなと呆れかえりつつ情報公開に感謝した。国民のための国家ではなくて、国家のための国民であり、利権のための政府国家であるという日本国憲法と真逆の国家システムを堅持している。国体の護持という非民主的な憲法違反を断行しているわけである。

どこからそんな出鱈目なことを常識や基準として定め、疑いなく信じ込むことができるのかというあたりまえの疑問が浮かぶ。北朝鮮と同じように弱音を吐いたり国に疑問を抱く人は、精神薬を飲ませて病院に転がしておくということが正義として通用するのが日本政府である。だから国民がなにも不満を発言できない基本構造は、精神保健の定義と方針に確認することができるのである。国家主権のカギを握るのが厚労省の定めるところの精神保健であり、いかなる労災がありいかなる犯罪がありいかなる戦争がありいかなるいじめがありいかなる事故がありいかなる汚職がありいかなる虐殺があり、まあありとあらゆる不穏ななにがあろうと、一切国家は預かり知らない。国家は絶対であり正義であり人間の基準であるというまさに国家主義を信奉する政府関係の感覚とはそういうものだ。彼らは人が死んでも構わないという本心を表向きは言わないが、あらゆる対策対応をしてきたという開き直りを繰り返す。

ワクチンの副反応で亡くなる人は製薬利権と蜜月で自然発生確率に過ぎないとして、まったくその責を負うつもりがないため、ワクチンと死亡の間に因果関係を認めないという公式見解をさらしても平然としている。本来は免疫力についての検査をした上で安全性が確認できる人にしかワクチンは危険で使用できないはず。感染したら確実に亡くなるような人はワクチンでも確実に亡くなる確率が高いに決まっている。

もはやコロナを口実にした高齢者や病者の虐殺機会を得たと小躍りしている官僚のこころが透けて見える。

日本国の領土内には高齢者や病者がいないほうがよく、障害者もできれば死んでほしいのだが、どうやって早く死んでもらおうかというのが、政府の本音だろう。

警察が盗みをやり暴力団と交際し、消防士が放火し、医師が患者を殺し、教師がいじめを誘導し、労働基準監督署が過労死を助長し、自治体が差別的取扱いを繰り返し、反社企業が幅を利かせるのも政府からしたらなんら問題のない無関係な事例にすぎない。

文化的な印象とは程遠いお国柄である。

政府関係者には合理性とか文化的とか健康とかいう言葉がまったくわからない。

たぶん血液検査とか健診に引っ掛からなければ健康とか資産があれば文化的とか貧乏労働者と病人が死んでくれたら合理的だというくらいにしか思っていない。

日本国憲法を守るつもりがない政府関係者と支配層というものが、日本国領土内で頻発する虐待や虐殺を舌なめずりしてほくそ笑み、日々地獄の日本国民をせせら笑って見下しているのだということを考えて、一般国民がそのことをすでに感じ取って愛国心も隣人愛も教育心もなにも人間らしい感情が育たないままの、殺伐とした奴隷民の国が日本である。

日本の支配層は狂気の共同体を作って日本人をただの生物として死滅させつつある。

ゆとり教育とか列島改造とか所得倍増とかいう健全な方向性に修正する必要があるが、洗脳された日本人にはもはやその健全性というものが理解できない。3割程度の投票有権者の日本人は教育的ゆとりがなくインフラもがたがたで所得を抑制されることを当然だと考え、つまりアブノーマルをノーマルや常識だと勘違いして民族滅亡の坂を転がり落ちているのである。金儲けのためには憲法が邪魔で仕方がない自滅の代議システムが自民公明立憲の三党合意なのである。

東京オリンピックのボランティアや選手たちは、特権的地位の支配層の商売のために生涯をかけ懸命に競技を遂行する哀れな貧乏奴隷にすぎない。人間らしさという言葉、人道という言葉、人倫という言葉、愛国心という感情、隣人愛という言葉、平等という概念がそもそも理解できないからこそ、一生懸命に悪政の旗頭になって喜ぶことができるのだ。オリンピックは日本人のため日本国のためになんて露ほどもならない差別と虐待のための残虐イベントにすぎない。

むしろ国民を奴隷化する政策教育方針に合致するイベントとして優秀だ。どこをどう考えても、とても共鳴できるような哲学や理念を認めることはできない。いや人類の享有する哲学や理念と真逆であるからこそ強行開催するのだなとありのままに解釈するよりほかはない。