FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

バイオリンを弾いていてわかる老化と蘇生(中年版)

YouTubeである70代のバイオリニストがバイオリンを弾いているのを見つけた。70代にもなると個人差はあるが、老化が著しい人は、指がまめらずに音程がとれずビブラートが粗目になってしまい、多少聴きづらい。見つけた女性バイオリニストはもともと世界の舞台でも活躍していたほどのレベルがあったと紹介されており、その老衰ぶりは著しいものだとわかる。

かのアイザックスターンも人生終盤の録音録画を見聞きすると痛々しい。

そんな風になってしまうとあまり楽しく弾けなくなることは確かで、かろうじて楽器の素朴な音色をかろうじて楽しみながら音楽を楽しもうということになるが、これは甚だ心もとない。

私の場合10代半ば頃がもっとも感性豊かな時期で、その感性を表現できていたいわゆる若いころである。弓の毛が完全にグリップしていたのを覚えている。弓先では普通弱い音になりがちなのだが、その弓先でもゴンゴンズンズン思い通りに音を出せていた。それだけではなく、左手の指先に神経が行き渡って細やかな表現がほんとうに楽しかった。あこがれのハイフェッツグリュミオーの特徴を真似てモノマネのような弾き方をしたこともある。

その楽しい感覚は残念ながら15歳で終わり、両親にバイオリン禁止令を発令されたことで、ほぼ完全に失われた。

大学の2年生からまた少し弾き始め、サークルでカルテットなどを組んでソリストもやらせてもらったが、しばらく弾いてなかったのでボーイングはそのころには不確かなものになり、左手の形ができていないままやめてしまっていたから、もう一歩の表現力にとどまってしまう。それでも大学の行事で演奏を披露して謝礼を頂けるレベルではあったが。

その後またバイオリンを弾く環境がなくなり、まったくの趣味の人になる。

時々あるいは時期的に懐かしんで弾いて思い出すのだけれど、20代30代のころはそれほど危機感を持っていなかった。弾けばまた思い出すだろうくらいのもので片づけていた。レッスンを受けることができずにいたので、むしろその環境の方が大きい。とても辛く苦しい時期だったことを憶えている。

ただ30代で古巣のバイオリン教室に年に何回か行くようになった。本当は先生のすすめに従って音大に行きたかったので、とても懐かしく楽しく合奏する機会に恵まれた。

その頃自分の楽器の繊細な表現力に疑問を抱くようになった。教室の先輩のプロの著作を読んで、指先の感覚が100%ではなくなる恐れがあることに気が付いた。つまり自分の感性を生かして楽器を歌わせたり表現したりする傾向が強く、感性頼みで楽器はそれほど鳴っていないという客観的事実に気が付くのである。そのころ自分の感性を100%生かせる楽器たちとのよい出会いがあった。

その楽器店には感謝しているが、数年間にわたってたくさんの名器を弾かせて頂いた。その楽器たちは、本当に細やかで力強くなんの不足もない表現力の基礎を持っていた。

アイザックスターンの使っていたものと同じ作者の弓でスターン愛用だったのと同じガルネリを弾くと、驚いたがアイザックスターンの音色がほとんど同じように出てきた。全盛期のストラド、プレッセンダ、ガダニーニなどの澄み渡った音色に狂喜乱舞である。

なんだ楽器と弓の組み合わせでバイオリンの音色は決まっているのであって、当たり前だが、そんなにただ努力すればよいというものでもないなと思った。

しかしスターンの晩年はその音色からは艶が消えている。

その違いをいかに生まないか、老化との闘いが必要であると悟るのである。

30代まではほとんど我流である。

幼児教育の専門家であられた先生にそれ以上を求めることはできず、基礎練習の仕方をまったく教わることはできなかったので、ようやく40歳ごろから基礎を教わる運びになってしまった。

この基礎練習が年老いてからその力を発揮するものであることに気が付いた。

愚かなことに30代は体力勝負の年代で、私はかなり体を酷使して疲労困憊になったのだが、その結果基礎のないバイオリンでは40歳でどうなるかといえば、最初に書いた70歳のおばあちゃんのバイオリンのようになったのである。指がまめらず弓はふわふわ定まらない。とうていコンクールや音大をすすめられた往年の演奏ではない。しかし音大の実技トップになれると言われただけあって、その不確かなめちゃくちゃな演奏が一定の趣味でやる人たちからは上手であると評され、また一定の専門家たちからは正確に基礎はないがスゴイと言われるのである。

つまり本人は著しい老化を感じながらへたくそになったなあと絶望的になりながら音楽が好きで曲が弾けるからまだマシかなという時期になった。

そのままで終わるのも芳しくない。

さいわいここ何年も先生方についてアドバイスを得ることができ、なによりも体を養生できるようになったので、指先の感覚がわずかだが戻ってきつつある。

弓の使い方も表面をなでたり力任せにゴリゴリやるだけだったのが、自在に弓を使うためにはこんな練習もやってみようという適切なレベルアップの助言を得られて、実は最近ワクワクしているところだ。

右手の弓の使い方でグリップを自在に変化させるというかつての器用な夢の技術を蘇らせることができれば、確実にプロレベルの演奏になっていく基礎ができる。左手の繊細な感覚が蘇って基礎練習で基本的な形ができれば音程を確実に繊細にコントロールできる。

昨年の夏ごろから、楽器のランクアップを真剣に考えるようになった。

名器たちを繰り返し弾いて得られたまともなバイオリンの感性から、どんな楽器を選ぶべきだと言う基準ができたのだが、その楽器選びは本当に重要な表現の幅を決める。

軽自動車ではF1に参戦できないように、どうしても超えられない線があるのだ。

F1は高額すぎる名器にたとえられるが、予算もあるから必要最小限度のもので構わない。

ただ一定の基準さえ超えていればよい。もともとの無知な基準では多くの人が精神を病むような楽器を選んでしまう。せっかく名器をたくさん弾かせていただいたので、一生モノの、どこで弾いても確実に弾ける秀作を選びたい。

また、そうでなければ練習する意味はほとんどないわけである。

よくいる中級者というのは中途半端であるだけのことが多いのだが、その理由は楽器が中途半端であることと、練習内容が中途半端であることにある。

集中力と繊細さを必要とする楽器は、それだけのきちんとした楽器でなければならない。

低いポジションでせいぜい第5、第8ポジションあたりで済むようなアマチュアオーケストラで楽しんでいますという方なら別に初心者用の楽器でもたいして変わりはなく、よい楽器は自己満足というかステータスのためのものに過ぎない。しかし最高音を弾きこなし、第10ポジションあたりを頻繁に当たり前に使う段階になると、どうしても工房製や初心者用のものでは表現力が足りなくなる。

正確な音程であっても工房製は音が濁り、親方製は音が澄む。工房製はミスがミスになり、親方製はミスが味になりやすい。

たんなる生活環境の改善だけではなく、体調を整えながら演奏内容をきちんと組み立てていく場合に必要なのは秀作なのである。自分の感性だけがいくら良くなっても、どれほど集中力を高めても、どれだけよいレッスンを受けても、楽器が不十分なものであれば、なんにもならない。まったくの徒労に終わるのだ。

もうひとつ恐ろしいのは、手袋をしたまま物をつかむような感覚を覚えてしまうことになるということ。アマチュアのほとんどはこの状態でも特に困らない。みんながミスりまくっているので、ちょっとリズムや音がずれたくらい問題にならないのである。

しかし、ピアノ伴奏だけで勝負したりプロと並ぶ演奏をしなければ納得しない人の場合、ごわごわの分厚い手袋をしたままの心臓外科手術のような狂気のチャレンジは避けるものである。

貧困叩きは私の趣味ではないが、有名音大卒のプロで安い工房製らしき楽器を弾いているのに何人か出くわしたことがある。そういう楽器でも音大のカリキュラムをこなしてしまえるものなのだという事実がある反面、ひどい表現力の小ささにはがっかりした。

私は確かに一般的な日本人の中では耳が肥えているほうであるが、それにしてもひどいものだった。そしてそれら安い工房製の表現力乏しい楽器が平気で100万円くらいしてしまうところが、日本人の不幸だと思っている。欧米圏なら30万円以下のガラクタ扱いだろうなと思う。若くて訓練をきちんと受ける機会に恵まれた人たちが、そんな現状のままではなんだか悲しいが、それもお国柄であり人それぞれの事情である。

私にも音楽の教育機会の乏しさという事情があるから、そんなものかもしれないと思う今日この頃である。

そこそこの難曲はこれからモノにするのが難しい年代になってしまったが、いたずらに絶望に暮れることなく、肉体的蘇生とともに音楽的蘇生を実現し、その表現も存分にできるようになるべく、出来る限りのあらゆる努力を重ねて、秀作選びを慎重に進めたい。

まだまだ人生の半ばで偉そうなことは言えないが、今言えることは人間は努力や頑張りの不摂生で誰でも老化が早くなり、きちんと人間としての理性ある養生をすれば着実に蘇生していくことができるということだろうか。美辞麗句に踊らされず、自分をいたずらに消耗しないで、科学的に有効な予算と労力のかけかたをすることは、幸福な人生の基礎的な条件かもしれない。