FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

プロとアマの違い(発育期)

私は3歳からバイオリンを習わせてもらった。しかし、最初はどうだったかあまり覚えていない。先生のお宅に行ったら何か話しかけられたことをおぼろ気に憶えている。
周りに気が付くのは個人発表会や合奏発表会のときに、前の人と後の人が弾いているのを聴いて上手だなとか思うのが最初だった。
でも幼少期は母親のスパルタに閉口していた。閉口してもバイオリンは弾き語りではないから問題ない。
私は継続するつもりでいた。
しかし小2で妹が重い病気で産まれてきたためにレッスンはお休みせざるを得なくなる。
ただでさえ進みが遅いのに、さらに進みが遅れてしまう。数年間の空白。
でも妹はかわいいからまあ仕方ないとしか言いようがなかった。
思えばこの時点でプロになる可能性はかなりなくなってくる。
しかも親は趣味でやらせたかったらしい。
ピアノも習わせてもらったが、小学生がひとりで習えるわけがない。バイエルをかじって半年でさっさとやめてしまう。
小学生高学年や中学生になると、自分の家庭がピアノはあるものの中流だと気が付く。
周りはバイオリンの先生に二人つくのが当たり前なのに、自分はひとりしかつけない。
N響コンマスにレッスンを受けに上京している先輩もいるが、私にはまったくそんな機会がない。
コンクールに出場するのが当たり前なのに、その機会も親が断ってしまって与えられない。
とうとう個人発表会まで止められてしまった。
今は芸大の先生をしている後輩のホームコンサートがあったので行ってみたら難曲をさらさらと弾いている。先生!✨は当時まだ小学生で中国の太鼓や悪魔のトリルなどを弾いていて目を丸めた。
もはや自分は音楽ではやっていけないと感じるわけではないのだが、それに近い感じ。
発表会を止められたのを憐れんで先生がオケに推薦してくださった。中学生のとき地元のアマオケに出てプロと一緒に弾いて楽しく演奏をすることができたことが、本当によい思い出だ。アマオケでも半分くらいが音大出と主要コンクール入賞者だからまあまあのレベル。
音楽の楽しさを教わることができた。
いかなるときにも希望を失わずなんとか生きていこうとする力を教わったと思う。
その後バイオリンの先生から音楽家になるように薦められたものの、親族一同の猛反対により音楽大学進学やレッスンを断念することになる。
最近思うことだが、必ずしも裕福な家庭だから音楽家になるわけではないということ。
音楽に正当で絶対的な価値を認めれば、中流家庭でも音楽家になれるし実際なっている。
家庭の方針というヤツで、バイオリンで生計がたたなくなってしまった。
一体なんのために私は母親に怒鳴られ小突かれいびりあげられたのだろうか。
この空虚感、喪失感は、経験した人にしかわからない。
よく音楽家はプロになるためにはスパルタが条件になっていると言うがその通りだと思う。
しかしスパルタが趣味なんてキモいとしか言いようがない。仕事にしないのになぜスパルタなのか理由と根拠を示せと言いたい。趣味でしかやらせないというのにスパルタならそれこそ虐待である。
同じ教室で一緒に合奏していた人たちが、著名なかなりの演奏家になっている。
私にできることは、喪失した感覚を埋めるための趣味としての努力である。
同門だったN響都響、東響などの奏者たちが、みんな留学も含めてカリキュラムが違うわけで、音高や音大の真似事というかコツみたいなものを習得していけたらいいなと思う。
音楽の道には断じて進ませないと親族から死刑判決を受けてからもう30年を越えた。
趣味は趣味なりにプライドをもって、プロに負けない音楽に対する深い洞察や思いを表現したいものだ。
様々な制約はあるが思いを残してはよくないから、余生でできるだけのことはやってみたい。精一杯やったと感じることができれば、その充足感は人生の幸福になるのではなかろうか?
かつそれこそが出来の悪い両親への恩返しだと思う。途中からレッスンの付き添いはさぼるし守銭奴になって育児放棄するなんて、恥ずかしながら最低の愚かしい親であった。