グローバリズムの闇を追及して概略反対意見を書いてきた。
しかしそれは決して各地の文化を理解できなくなるということではない。
グローバリズムに反対なのだから、よその地域の文化なんて知らないという態度では、人生を損するだろう。
せっかく人類の一員なのだから、よその地域の文化をいかに彩り豊かに楽しむかという取り組みは当然の成り行きである。
しかし人はつい異国情緒の魅力に自分の故国を忘れてしまうことがある。
しかし祖国あっての異国情緒。
夢見がちになって、自分の足もとを忘れないようにしたい。
責任ある大人ならば、正しい歴史を学び、日本政府と議会を厳しく監視してコントロールしていかなければならないと思う。案外、自分の国の古代史や現代の政治をわかっているようで、全然わかっていなかったりするものなのだ。
根なし草の日本人として生きるのと、日本人とは何かをよく理解して生きるのと、どちらが幸せだろうか?
外国の文化を学ぶにしても、その深みが変わってくるのではないだろうか?
昔から確信していたが、邪馬台国は畿内にはなかったという真実もある。
三橋貴明氏のコンテンツにも興味津々である。
われわれ日本人はどこから来てどこへ向かおうとしているのだろうか?
ウソの歴史を教えて勲章をもらう者もいる。
史実をまっとうに学ぶことから始めたい。
日本の古代史、天皇史を真剣に学んだ日蓮の述作にも学ぶことは多い。
冷静な学者の眼も併せ持って日本の古代史を学ばなければ、いつわりの歴史を信じ込まされてしまうことになる。
そういったただの浮かれた人間にまっとうな芸術音楽はできない。
自分のルーツを探求する時間を持つことが出来る者は幸いである。
心の底から納得できるまで、真実を探究する人生こそが、人間に生まれてきた意味なのかもしれない。