FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

グローバリズムの不自由さとバイデン大統領の自由さ

地方自治があって、政府があって、世界中の流通交易がおおいかぶさっていると、我々ができることがずいぶん限られてくる。富裕層は非常に自由に世界を楽しめるようなところもあるけれど、グローバリズムに逆らうと承知しないぞという論調の文章が増えた。しかもグローバリズムなら当然中国や北朝鮮が含まれており、仲よくしろという暴論まで飛び出す始末である。先進国の株や国債を買うのに国境はあまり関係ないけれども、旅行に行って無事かどうかは国によってずいぶん違うわけで、グローバリズムは極めて危険性の高い概念だということをよく考える必要がある。
やっかいなのは見ず知らずの餓死者や家畜の面倒まで見なければならないらしい。
かといって一国主義というわけにもいかない。
やむを得ず国連を重視するのが無難な線ということになるが、中国支援国が増えすぎていて全面的な支援ができない。非常に中途半端な国連支援、協力ということになっている。
アジア太平洋が平和のうちに自由貿易と各国の自治を守れるのであれば大した心配もないのだが、世界の最強のならず者、北朝鮮と中国が残っている。
非常にやっかいなのはどこか遠くの餓死者よりヤツラなのだ。
グローバリズムの負の側面が、すぐそこにとぐろを巻いているので、東アジアの我々はまったく自由がない。自民党の二階や公明党議員なんて中国共産党に入党しかねないわけだから、日本人に自由なんてあるのかと思ってしまう。
地方自治についてもう一度その充実をはからなければ、グローバリズムのために我々の暮らし、生活レベルが落とされていることは間違いない。グローバリズムと言えばなんでも許される空気感の中で、さらにどんどん地方予算が削られようとしていることに、日本人は気がつくべきだ。
日本人は政治的に従順すぎるところがあって馬鹿ばかりみている。政府の言うことをなんでもへいこら聞いていればまじめなのだと思っている人たちが多い。世界的にも珍しいおかしな政治的道徳教育のたまものである。
国のためなのか政府のためなのか、繁栄のためなのか権威のためなのか、一人一人のためなのか特定の宗教のためなのか、われわれは意識的に生きなければグローバリズムと組織の餌食にされてしまうだろう。
ごく一部のグローバル企業のために、全体としてレベルダウンさせられ、みなが殺伐とした空気の中で、地方自治はスカスカの予算になってしまっている。政府公共団体がグローバル企業への吸い上げ機関に成り下がっている。この場合の自由と民主主義とは、グローバル企業の自由と地域公共サービスを軽視する多数派工作を含むものとなる。
内閣というより今の政治にはまったく信任を置けない理由がそこにある。同時に、バイデン大統領の課題も本当はそこにある。アメリカ企業と中国企業が儲かって多くのアメリカ人が損をするのだから。社会保障をどれだけ本気で整備できるか、というところだろう。