概要国民生活がひろく安定的に豊かであるということである。
対外資産とか純資産とかいう金額も重要であるが、そういう数字の上でのものは努力しても限界があるので、それは努力とセットで政治の話である。
水道光熱費や通信費、交通費が安くて新鮮で栄養価の高い食料品が豊富で、なおかつしっかりした衣服がほどほどの価格で提供される国は豊かな国であろうか?
兄弟姉妹で平等に居宅を相続することはできないので、住宅が購入できるか家賃があまり高騰しないで安定的に住めるか、というところも重要になってくる。
教育費が安いか無料であって、職業訓練のための奨学金が支給されるかどうかも重要で、そういった生活基盤にかかるところが、どれだけ苦痛なく安価で整備されているかというところがその国の生活しやすさに直結するだろう。そういった調査もたくさんある。
これを基準にして、日本がかなり暮らしやすい国だということがわかる。もちろん6割程度の国民が暮らしやすい、6割が幸福であると回答するという意味であって、全員ではないが、まだ良いほうだということはわかる。
水資源が豊富であり、農林水産業もおおまかには安定的に収穫漁獲があがっているので、自然災害を救済すれば、そこそこ安心して暮らせるのである。
そういった自然条件からくる生活のしやすさと対極にあるのが、教育費が高いことや公教育予算以外の職業訓練費がほぼ自己負担になるという難しさである。
日本人の考え方とか文化として富裕層は富裕層の職業があって、そこにはとにかくお金がかかるけれども、一般人には一般人の職業があって、それは実地訓練で働きながら覚えるという大まかな区別である。本当に富裕層でしかできないような職業というのが実際はあまりない。昔の身分差別によるものが残遺しているにすぎない。
芸大生に一般的収入の家庭の子息が常にいて富裕層だけでは成り立っていないのもわかりやすい。
むしろ政治に貧乏人芸術が介入してきたら困るという富裕層コミュニティの防衛本能が目立っている。昔の中国の話で人材登用の逸話がたくさん残っているが、政治に富裕層だけの政治というのはありえない。貧乏人や苦労人を取り立てて、国が繁栄するという妙こそが、実際上もっとも美談にもなる。反対に貧乏人を卑しんで、一般国民を卑しんで、国が滅亡するという話がたくさんある。
日本政府が滅亡しない理由は、一般的な日本人に諦観が行き渡っていて組織的に不満を言わないからである。日本政府の官僚の中には貧乏人出身もいるが、芸大生と同じで貧乏人がだんだん減少してきている傾向がある。この時代の流れが、政治に顕著に反映されていて、貧乏人は黙って努力さえしておれば、犬死、餓死、自殺、離婚、馘首の憂き目に遭っても仕方がないとまさに諦めさせるという流れになってきた。
したがって経営陣、富裕層、エリートたちは、給与水準をひたすら低下させてなんら問題がないと開き直ってしまっている。組合などで組織的に発言しなければ誰かが困っているということについては知らないという政治風土もある。
欧米先進国においては、たった数人が発言しても、その内容によって政治が動く。だからこそこの30年間においても給与水準は上がっているし、人口も逓増してきているのである。人間が生活して子孫を安定して増やすためには給与水準は上げなければならないという常識がわかるのが欧米先進国なのである。
だいたい国の豊かさというのは、個人の意見を尊重するか、集団の意見を合わせるだけに留めるかという違いによって決まっている。欧米は個人の意見を尊重するから2大政党制でも特に問題が大きくならない。国は発展し繁栄し続けている。これが日本であるとただのカルテル政治である。国は衰退し貧困層が増え続けている。
日本人でIQがよい人たちはほぼ全員知的障害かなにかがあるのだろう。日本の精神医療で知的障害の一部などの認定や医療費保険適用に難があるのは個人の尊重より根性論を優先しているからである。個人の意見を認める欧米ではきちんと認定対応されるのだ。
日本国が衰退して貧困層を増やすことで、なにか発展や成功だと主張しているのだから、普通に考えて頭がおかしいのである。原発政策、原子力委員会の失敗の責任をだれか素直に認めただろうか?人口減少の責任は誰にもないかのように喧伝されている。
東京大学がエリートの代表格だが、世界的にみてなんら優れているというほどのものがないのが、昔から不思議だったが、芸大も同じく芸術系の中では世界的にたいしたランクに上らない。要するに個人を尊重できないで丸暗記とか鋳型にはめるとかいう教育ばかりで優れていても、公共心とか愛国心とかいうものがいびつにゆがんだものになり、まるで世のためや人のためなんてことは考えられない。
たんに官位官職が優位で、位が高いからというおかしな感覚が発達しており、なんら公共性のないものにひたすら予算ばかり稼ごうとする。さらにたちが悪い者たちは業務に公共性を偽装して財テク、蓄財に走る。
アジア人というのは官位官職に媚びへつらうのが文化風習になっているから、なんてこともないというか諦めているから、そんなエリートたちは税金で遊びたい放題なのである。政治を監視して修正を促すという科学的で理知的な政治風土がまだまだ育っていないのだろうか?
別になんとなくやっていけるからどうでもいいか?
学問の意味をわからないほうがマシだという政治風土に対して敢然と声をあげたい今日この頃だ。学術会議任命問題は日本政府官僚と政治家の貧しい政治感覚を露にした。
若い人たちが精いっぱい努力して人生が報われるように、日本が豊かな国になるように心底願っている。