FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

令和の超特急リニアはどうなるのか?日本国の人口減少の危機的状況はどこから来ているのか?

 もう40年も昔のことだが、宮崎県にリニアの実験施設があって、時々ニュースで映像が流れていた。リニア構想はずいぶん昔からあって、新幹線がまだ時速200キロ台の時代に夢を膨らませるようなニュースだなと思っていた。

 しかし実用化の目途がたった(無理にたてた)ところで、なかなか進行しないのも実際のようだ。

 最初の実験用車両はとても短くてとても乗客を載せられるようなものではなかった。

 ここ10年の話で頑張っても定員728人ということだ。新幹線が1323人だから5割を少し超える程度。今の建設規格では12両編成がようやくといったところで、技術的に編成をいじるのが難しいとのことだ。新幹線のように融通がきかない。16両編成にしようとしたら路線を再建設しなければならないか車両を全部設計し直すかする必要が生じるというレベルの改良が必要になり、コスパが悪すぎる。論文によると使用する電力も新幹線の4倍から5倍ほどらしい。しかも大阪まで開通しなければあまり利便性が高いとも言えない。航空機と比較しても実際にはあまり競合しないというデータもあり、航空需要を6%ほど食うだろうとのことだ。航空機より特に優れたところがあるとすれば主要駅から主要駅へのアクセスが多少よいくらいである。

 次に、新幹線が十分に利便性が高くて、なければないで特に利用されないだけのことだという冷ややかな話がある。一度新幹線がとまったときにその需要は消えたにすぎなかったという話である。顕在需要がないという主張があるのだ。確かに別になければないで特に困るほどではないし、あればあったで便利なので使う人がいるという程度である。

 問題は時間短縮をたいそうなコストをかけてまで無理矢理強行しようとする経営の方針(エリートと富裕層の夢物語)と、その費用のしわ寄せが一般の在来線や新幹線に波及するのではないかということだ。民営化してからというもの、すでに不採算路線がひたすら廃線に向かってきている。鉄道の公共性を無視した経営判断である。私にはリニアがこの裏返しになっているとしか思えない。本来維持するべき不採算路線廃止断行と別に必要ない不採算リニア新幹線建設強行というコントラストに日本人はなにをおもうのだろうか?

 国全体の繁栄のためとか公共交通機関という第一に重視しなければならない視座をあまりにもないがしろにしているのではないだろうか?

 リニアで恩恵を受けるのは東名間の移動が多いビジネスマンが主体だろうから、確かに経済効率と労働者の勤務条件としては向上するような気がしないでもない。

 運賃が新幹線の割増し程度だという触れ込みなので、いくらかは便利になるだろう。

 しかしその不採算リニアのために、在来線と新幹線ばかり使うようなわれわれ一般の運賃がじわじわと圧迫されて遠くない将来値上げが再び行われるとなるとどうだろうか?消費税10%でこの間値上げされたばかりなのに、もう次の値上げが見えてきているのだ。

    交通機関の公共性は通勤通学通院という必要な交通体系および廉価な料金の維持がなされなければ無意味だ。今携帯料金の値下げを政府が誘導しているが、次はもう鉄道や交通の値下げ誘導が必要になるほどの値上げ見込みでリニアを強行しようとしている現状があるのは、なんと不毛なことだと思うが仕方ないのだろうか。

 冷静に見ると、国民生活にどうしても必要なものをどんどん民営化して、次から次に値上げをさせているのは、国民生活が窮乏するようにいったんは誘導しているようなものだ。

 ひろく利便性が上がるものならば多少は理解されるだろうが、ごく一部の限定された上級国民のために下級、一般の日本人が苦しめられるだけだというのが、現状の構図だからたまらない。

 最近の株価が高い構図がまさにその構図で、みなが仕方ないから経費をかけるようなもので値上げを続けていることによる好景気なのだ。鉄道運賃、バス料金、ティッシュペーパーやトイレットペーパー、食料品、衣料品などどうしても買わない訳にいかないようなものばかりをひたすら値上げすれば、収益が向上するという仕組みだ。

 静岡県知事が水資源問題でリニアの建設中断を余儀なくさせているが、こういう公共性と公共性の衝突が起こったときに、水資源問題のほうが圧倒的に優先順位が高いので、やはりリニアは必要ないことが浮き彫りになる。まさに迂回して建設するしかないのは、優先順位が比較にならないからだ。

 リニアでその恩恵を受けるのは利用者だけではなく、なにもかも値上げだけしてまったく経営努力なんて考えていない投資家や経営者たちではなかろうか?彼等には経営よりも収益のための値上げという小学生レベルの知能しかない。

 そういったことで、ひたすら消費者、勤労者が給与・収入の目減りを食らうだけで、この国の行方はあまり明るくないのではないかと心配になる。株式の配当を頑張りすぎたり、契約社員などで収益をなんでもかでも上げすぎると、今のような貧困国家日本ができあがるのだ。アメリカナイズの弊害が至る所に見えてきたし、資本主義と政治の公共性の相互補完関係というあたりまえの視点が損なわれた今の時代を作ってきたのは、まちがいなく日本のエリートたちだから、彼らが考え方をもっと合理的に変えなければ、国民生活が窮乏して民族が死に絶えていくしかないのだ。

 おそらく路線を迂回させてでもリニア新幹線は開通まで強硬に取り組まれるのだろう。静岡県に対する強制命令というのはその公共性への相反によって難しいかと思うが、路線を変えれば工事ができる。水資源は一番重要な公共性だから知事もしっかりした方なのだとわかる。

 しかしリニアの工事費はさらに上昇し、われわれに対するしわ寄せはより確定的になる。

 料金が下がるから自由化、民営化だともてはやしていたが、電力事業も放射性廃棄物や再利用施設の運用問題などで、そうそうに料金値上げの予測がなされるようになってきた。

 ほんとうに民営化というのは問題ばかり起こって非常に困る。

 民営化はエリートの高給取りの椅子をひたすら増やして、国民の負担を一方的に上げるだけの、とんでもない政治的で大がかりな茶番劇だ。本当に採算を第一にするなら電力自由化イコール即刻原発廃止なのだ。

 国の繁栄や国民のため、公共のために仕事をするエリートが、今の日本にはいないかのように錯覚するほどである。少なくとも政治の世界で公共を正しく理解している集団が見当たらず、エリート仲間のための立派な椅子を製造する加工会社でもやればよい仕事をしたと思っているだけなのである。

 エリートは原発関連でも化け物を生み出して後の処理に困り果てているが、リニアでも不採算路線を生み出して後の処理に困り続けることになるだろう。高級とりのエリートというのはその責任はとらないで、負担は国民に押し付けてドロンだ。

 先の大戦における日本国の無条件降伏と重複して見える。勢いのいいことばかり言って、都市部は焼土と化し、結局日本民族が激減したのだ。若い人たちも大量に死んでしまった。今はさらに悪いことに子供たちまでもがいない。

 政府とエリートは本気で日本を再生する気があるのだろうか?今の日本の状況がどれほどひどいものかということをまず深刻に考えなければならないのは投資家や経営陣とツーカーのエリートたちである。その責任の重大さに対してなにも感じていないとしたら、ずいぶんと鈍い無神経な連中だし、旧日本軍関係者が敗色濃厚な中でただ保身と蓄財だけに終始していた戦時中とまったく同じように確信犯として一般国民に負担を丸投げしているのではないだろうか?私は平和教育からそんなことを学んだつもりであるが、なんということだろう。今は戦時中や敗戦時より一面はるかに悪い状況にある。

 しかもエリートはネットでブログなんてものはまず読みもしないのである。