FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

テレビを見ないということ(子育てについて思うこと)

 受験勉強の時期に大好きなテレビを我慢した、あるいはさせられたという人がいた。同級生の女子が受験に成功したということは、確実に学力が向上したということだ。一度お宅に訪問したらテレビに国旗が掲揚されていた。

 私の育った家にはテレビが幼少期はなかった。

 おかげでその時期にたくさんの絵本や漫画、書籍を読み漁り、とうとう大人のエッチな本まで見つけてしまったことすらある。しかしとにかく読書量が増えて増えて、私の生涯の学習量の半分は幼少期であろうかと思う。

 テレビがないとか見ないということで、なにか学校の友達との会話についていけないという心配もあるが、それだけのことである。そんなことより学力や読書量がきちんとしていたほうが、よりよいお友達にめぐりあうことができるのでよいのである。

 くだらないテレビばかりであるという前提になっているが、実際どれほどすばらしい番組が製作されているかと言えば、そういうものは地域や学校で企画されて視聴する機会をわざわざ設けるようなものであったり、映画化されたりするようなものであって、別にテレビで先を争って視聴しなければならないというほどのものでもないのだ。

 人間力が上がらざるを得ないのは、家族と会話しなければならなくなるからだ。家族とのコミュニケーションが否応なく必要になることを自覚させられる。テレビに逃げるようになると家族というものも、もはや終わりである。悪いお友達ができたり、そのまま異常者になったりするかもしれない。

 テレビの場所がもったいない。育った家には本棚がたくさんあったが、本棚だけで部屋や2階の廊下が埋まってしまうほどだった。非常時などに備えて一応テレビを置く人も多いだろうが、それより老若男女問わず人間が人間であるためには、本棚をたくさん設置するとよいのではないだろうか。ペーパーレスできるものはしても構わないが、不思議な出会いと共感、人間性の錬磨などに書籍との密会を最大限重視して、すばらしい家庭を構築していただきたいものだ。