FujiYama’s blog

日常的な生活の風景、感想などのブログです

日本と宗教のむずかしい関係について(2)シンプルな日本人の堕落の歴史

 敗戦と同時にもたらされたキリスト教文化だということに偏ってみると、負けて押し付けられた文化だから受けたくはないというのが人情である。

 しかしドイツを中心として明治大正期からキリスト教文化は輸入してきている。それ以前の長崎の出島ではオランダを中心として、とにもかくにも欧米の文化を輸入して活用しようとする動きはずっと続いている。

 敗戦を機に日本のナショナリズムをまとめあげようとする政治的意図があったり、日本国憲法が財閥再編にとって邪魔なものであるという商業的理由で、キリスト教文化を忌避する論調が目立つ主張もある。

 そのような政治、商業的な理由を別にすれば、キリスト教文化を活用するのが賢明なものは多い。洋服、教会音楽、自転車、宗教施設整備、電力通信網、鉄筋建築、科学者の学会、精神保健などである。国民生活が豊かで便利になって安全性もより高く生活できる。

 もともと日本文化には多重構造性があるようで、富裕層の文化と庶民の文化と被差別階級の文化というだいたい3分割がある。使う言葉や生活習慣がまるきり違う。庶民はさらに官吏科学者系高等庶民と勤労者層にわかれる。社会学をおさめるとより詳細に分析していて面白いが、おおまかにはその4分割であろうか。

 日本の伝統的宗教とキリスト教の並立が常識になった戦後において、純然として日本の伝統宗教だけでやっていく家系というのはめっきり減少してしまったが、いないわけではない。それよりキリスト教系の文化が当たり前になったということを前提にして、これからの日本人は生活していかねばならないということ。

 大衆化した文化というのは安くて大量生産できるデジタル系音楽をはやらせ、使い捨て自転車を主として販売し、手抜き建築業者を蔓延させ、無気力な若者をはびこらせた。正しくキリスト教文化を学べば、そういう安物には手を出さないで、堅実な財、サービス、商品をうまく活用するはずだ。しかし大半はそうはなっていない。

 もともと日本の家系制度は長男だけを尊重してきたから、それ以外は安物だけでやっていかねばならない宿命を背負っているが、大衆化文化は平等文化で、かつ安い。

 一長一短なのだ。

 日本の伝統宗教が平等に質の高い日本人を後継者に育成する試みが重要になってくる。優秀なキリスト教をわざわざやる人は1%にすぎないからだ。

 ところが今度は宗教離れが世界的にも起こってきて、ますます無軌道で奔放なものがもてはやされている。金さえあればなんでもうまくいくと信じているようだ。

 しかし日本人がみんな安い商品にまみれて安い民族になってきて、今の安い賃金がある。

 明治大正期というのは、逆であって高い商品、高い文部省唱歌、優秀な科学技術の基礎研究があって、それなりに豊かな国になりつつあった。一方で賃金格差が大きく神道を中心とした財閥だけが太ってしまったために、国民はやはり不幸になり、敗戦を迎える。

 私一人が主張してもなんにもならないとは思うが、日本国は高いものであふれる豊かな国になってほしい。賃金をただ高くしろとかいう暴論ではなく、品質の高い食品、商品を国の高い基準のもとに品質管理して生産するという担保をつけたうえで、賃金をもっと保障してもよいと思う。貧困層が急に所得を得られる見込みは薄いから、国がいくらか支給して底上げをすることも重要だ。まともな製品を購入できるからだ。

 今の日本のマスコミや宗教者をみていると、日本人の質をあげようという動きがとても小さいように思える。日本の質をあげようとしているのかと思えば、貧困層は迷惑だという両極端な話が出てくるので、それでは質があがるようで下がっていく。

 神道は質の高いものを一応企図しているのだが、世界的には中の下といったところにとどまることが多い。日蓮派はなんでもありだから質の低いほうへ流れていく人たちが大半であり、公明党など売れ残りだけで食いつなぐのが常識になっているから高い文化性はとうてい望むべくもない。神道日蓮派ではじり貧なのである。

 質の高い、基礎のしっかりした文化を育むことが国際競争力の基礎であるはずだが、2巨頭が主流の日本ではなぜかうまくいかない。キリストはよそ者扱いである。

 何を思ったか酔狂のように日中友好と言い出す始末。中国が日本の国益を守るというならそれもよいが、断じて中国は中国の国益のためにしか動いていない。中国が拡大したら日本が縮小するという当たり前の因果関係からすると公明党創価大学が中国に日本を売ってきたという事実が明らかになり、彼らの責任を追及する機運が高まっても良いはずだが、なぜか日本人は及び腰である。これ以上工業技術などを中国に輸出してはならないという限界をはるかに超えて重要な技術をみなタダ同然で中国にやってしまった。結果先進国や日本企業のシェアや収益が上がるわけがないのだ。

 昔からある中華帝国中華思想を日本人が信仰しているとしか思えない。もはや日本は中国の属国であり、アメリカの支配下にある負け犬である。

 日本のナショナリズムをいたずらに煽るつもりはないが、属国主義も行き過ぎである。しかも反動のように途上国には威張り散らす。

 神社神道浄土真宗キリスト教カトリックプロテスタント日蓮新興宗教日蓮正宗などの宗教をそれぞれかじってみて、日本人というものの行動パターンが読めてきた。堕落した日本人のほとんどが子を増やしても厳しい国際社会の中では生き残れまい。安物として使われて安物に埋もれていく奴隷で終わるのみ。たいていのお題目は気休めにしかならない。せいぜいカルト信者になって発狂するくらいがせきのやまだ。とても日本の宗教なんて勧められない。宗教熱心はたんなるマゾか精神異常の世界だ。

 とにかく質の高いもの、質の高いモラル、質の高い食事、質の高い衣料品、質の高い音楽、質の高いサービスを維持、開拓していくというところに焦点を絞って国づくりをしていってほしいし、そうしなければならないのではないか?

 堕落を引き起こすようなマスゴミに影響を受けないように常々警戒しなければならない。

 B級商品をうまくつなぎに活用しつつ、A級特級の商品をしかと見通して生活することをおすすめしたい。

 被差別階級の老人や障碍者などにもA級商品を使わせるとなると、日本経済は強くなる。それだけしっかり経済を循環させなければならないからだ。

 高齢者障害者等の被差別をひとりの国民として認知して支援の手を差し伸べるという文化こそが、キリスト教文化の高等文化たるゆえんかもしれないし、先進国が今も発展し続けているカギであることもまたよく知られている。これを日本の伝統的宗教がしっかり認識して国の意識を変えていけるようにみんなで意識改革をしていただきたい。

 経済と財閥のためだけに国民が存在しているかと言えば、そんなことはない。聖職者にお布施をするために信者が存在しているかと言えば、そんなことはない。あたりまえだが、国民が、信者が、一人の人格ある人間として最大限に活動活躍していくことが、もっとも繁栄の近道である。根本的に政治家、政府官僚、エリート、宗教家がそこを間違っているのではないかと思う今日このごろだ。

 おもしろいほど神社神道とその下っ端仏教は私利私欲のエリートが多い。優秀さはすべて目先の収益と蓄財のために使うことしか知らないのだから、世界的にたいしたレベルにはなっていない。

 結論として事実認識と科学的思考にもとづく理性ある政治勢力の台頭が今日本人にもっとも求められるべき組織力である。宗教による政治勢力の3塊しかない現状にはなんら期待すべくもなき状況が続いているからだ。

 むずかしく考える必要はない。日本人には向上心や幸福追求の心くらいあるだろうから、現状を正しく認識して、なにがもっとも重要なのかを冷静に考えればよい。その程度の知能と時間がないのであれば気の毒だがわからないだろう。しかし、少し考えることができれば、誰でも容易に理解できる話である。