FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

阪神淡路大震災の周辺で 防災にはなにが必要?

 学生時代、震災にあいましたが、幸い直下は免れました。それでも震度6はありました。激しく突き上げるような動きがあって、それから横揺れがすごかったことを憶えています。まだ眠い時間帯なので、寝ぼけてはいましたが、すぐに強い地震だなとわかりました。棚の上から段ボールが落ちてきました。でも、テレビが落ちるということはありませんでした。

 早速停電してテレビもつかないし電話もつながらないので、寮の外へ出て近所のコンビニへ行き、まずタバコを2カートン購入し、公衆電話から実家へ安否確認の電話を入れておきました。新幹線も止まっているので、帰省するわけにもいきません。

 さて、当時はタバコを第一に生きていましたのでタバコは確保。次に食糧の確保です。しかしなにも買い置きなどありません。寮食と外食頼みだったので、まったくお手上げです。幸い数時間後に停電が回復し、テレビが復旧しまして、唖然とする画像を眺めながら、お湯を沸かして袋ラーメンをポットで調理しました。同級生が寮へ来て善後策など考えていました。そこに自家用車を所有している人がかろうじて開いている牛丼店をみつけて数人分購入してきてくれました。それからしばらくはコンビニやスーパーに商品がない時期が続きましたが、いったい何をどうやって食べていたのか、よく思い出せません。

 カップめんと袋ラーメンは確かに食べて、寮食が復帰したのもしばらくしてからです。よく生きていたなと思いますが、多分いわゆるサバイバルなソウルが一番必要です。なんだそんなことかと思うかもしれませんが、タバコさえあれば生きていけるという人間は、地震が起こってもタバコさえあれば生きていけるという奇妙だけど真実なことがあるのです。多少食べ物に困っても別に大したことじゃない。一応口にできたらあまり食糧は問題にならないようです。もちろん1週間や2週間程度のことだから耐えられたのですが。その後姫路発のこだま号に乗って、とっとと実家へ帰りました。

 その時はもう流通と交通(道路に穴が沢山開いていました)が滅茶苦茶なので、耐えるしかないわけです。大学に保管していた愛器を取りに行き、同級生や後輩の安否確認が済んだら、それ以上耐える必要があるかと言えば、幸いに混乱と欠乏から逃げる場所があったので、そういう受け皿がどこにあるかという情報は極めて重要だなと思いました。

 大災害が起こったらまず現金を手にして必要なもの(食料やソウルグッズ)を入手して、インフラの回復状況がスムーズに行きそうにないと分かるや否や疎開避難することが大事なので、その避難先の情報が一番重要かつ必要だなと思います。

 なにか窮乏生活が好きな方は耐え忍んでみるというのも良いかもしれませんが、あまりおススメできません。多分、いろいろな備えは数日から1週間分しかもちません。

 家が半倒壊とか一部破損して家財を持っていかれそうだとかいう財産持ちのほうが案外いろいろ難しいのかもしれません。食料だけではなくシャワーや洗濯のこともありますから、インフラが整った地域へいち早く避難することをおススメいたします。

 阪神淡路大震災の場合は直下型活断層地震がそろそろくるなという時期だったのを知らなかったので、なんにも備えなんてしていませんでした。しかし東京首都直下についてはさらに備えが必要ないなと見ています。そろそろくる時期からは遠くかけ離れているからです。しかし地震だけとは限りませんから、備えとして現金を持っておくことと健康管理と情報収集には気を付けていきたいなと思います。

 去年の豪雨予報があった時に、近所の区役所に避難してみましたが、とても疲労しました。ああいう場所は見知らぬ人たちばかりでとても気を遣います。怪しい人がいるとか外国人がどうのこうのと難しいことを言う人が出現します。一晩ならまだしも大災害となると避難も長期化しますからきちんとした避難先を確保するように自治体やその関係者にはお世話にならなければなりません。こればっかりは仕方がありませんね。目下リュックに貴重品と着替えを入れて長期に備えてバイオリンケースを背負っていくのは大変だなと思っています。自転車に荷物をたくさん載せて避難するという方もおられるようですが、大災害というのは本当に受難です。

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区役所の避難所案内