難しい宗教よりよほど心が落ち着く草食。
宗教談義では南無妙法蓮華経を勧めていても、唱えている人たちが肉食で野蛮なので、悪友に交わらないように気を付けなければならない。
他方、質素な題目宗やキリスト者がベジタリアンとかビーガンとかでひどい極端な潔癖症になって危険団体を増殖させるのもいきすぎだ。
タンパク源を大豆と魚に絞って、例外的に肉食する生活を経験しているので、肉食の身体への負担や心理的影響を敏感に察知する。
特に17歳以降、安価なファミレスや学食とチェーン店で食事をすることが増えて、頑張りがきかない。
食事だけのせいではないが、影響を感じる。
問題は負担の軽い食事で満足する割合で、神道・キリスト教・浄土宗期1対9や2対8が題目宗期8対2や9対1に逆転した。
肉食には中毒性があり、日蓮正宗・キリスト教の清めの力を使えば5対5を前後するようになってきた。
題目の中毒性は同じなのだが、宗派によって大豆魚優位な伝統的題目と新興肉欲題目がある。
個人差なのではないかと片付けるのは、伝統を知らないからだ。
キリスト教は日本人に馴染みがないが、欧米の健康的伝統食は庶民が粗食で同じで、庶民と上流で違うところが、最近の日本に伝染して格差が開いてきた。
もともと日本人は上下同じ粗食で文化を維持してきている。
これを破壊するものは肉食肉欲でしかない。
道徳など上流がきちんとやらなければ無意味だ。
手本が贅沢と肉食で世の中が乱れるのはあたりまえ。
とうとう軍拡をやりだした。
キリスト教の優れたところは質実剛健、謙虚に節約して俯瞰した努力をすることで、明治以降日本が採り入れたのはむしろユダヤ教の私利私欲、強欲、高慢、殺戮、財閥拝金主義に至る各宗容認している肉食だ。
豚がダメ、牛がダメとか偏った極端なことより、要するに肉食がダメなのだ。
神は戦争と肉食で政治商業をやる。
人類の不幸の原因は神である。
殺すなかれという言葉に愛があれば、近親者を殺さないはず。
遠いのは海の魚と鯨などで、その距離が重要だ。
通信技術で肉欲のための情報が氾濫しているから、そこが盲点になり、牛は殺して食べるのに鯨はダメだというアホな話になった。哺乳類だからという理由理屈は矛盾している。アメリカの娼婦がダメでフランス娼婦ならよいという根拠など本来ない。遠ければ娼婦はよいという実際上のものが強いことが重要なのだ。
殺人系事件は近親者顔見知りのほうが圧倒的に多く、戦争は別共同体間の殺人で、それなら陸上では哺乳類の家畜をやめて鶏を食べ、海と空の魚や鳥を食べるとよいのだ。不足分を勝手に増えに増える鯨でまかなう。
これらは大豆など植物タンパクを第一にした上でしかできない発想なのか?
仏教をまともにやらない人類は愚かに殺しあいだけしていればよいのだろう。
粗食8以上肉食2以下の割合の人間にしか平和な心はない。
それぞれの平和を。
神のみこころにかなうものに平和。
キリスト教徒でも仏教不殺生戒をやらなければならない。
仏教徒でも殺すなかれというキリスト教をやらなければならない。
できるかできないかが問題で、宗教なんかではできない。刑法は破られるためにある。
食生活習慣で変わる。
人間の動物化がコマーシャル。
動物の人間化こそ平和への取り組み。
宗教はコマーシャル。
日蓮かキリストか、教えを学ぶことと行いを改善することが第一だ。