FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

フィオッコ アレグロ

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ちいさいころ、この曲は発表会で弾いた。有名な練習曲なので、バイオリンをやる人はみんな弾く曲。

ただ、この曲しばらく忘れていた。忘却の彼方。フィオッコという作曲家って誰?みたいな感じで数十年が経過。

ある時なつかしい教室へ行ってみて、合奏に参加したとき、おっこれなつかしいじゃないかとサラっと弾けてしまって自分で驚いた。

この曲はグリュミオーが作品集の中に収録したアルバムがあって、これは実にテンポがはやくてリズムを大きくゆらしている。

その名手の録音に学んで弾こうとすると案外むずかしい。

ややゆっくりから練習してじっくり仕上げていく。なんとかよい演奏になりそうであるが、最初から最後までまったく息の抜けない曲である。聴いているぶんには軽快で明るくてとても楽しいだけでよいのだが・・・。

アイネクライネナハトムジーク

f:id:FujiYama:20210213223135j:plain音楽と言えばアイネクライネというくらいポップスです。この爽やかで美しい音の出だしを聞くと、ああこれだというヤツです。

表現する音は繊細なのですが、弓づかいは豪快です。アマチュアはこのギャップがわからないので、中途半端な出だしの音になってしまい、あーあなんか違うとなります。アマチュアでもその違いをわかって弓づかいをできると、それなりにアイネクライネになります。アマチュアの場合、豪放磊落な弓づかいがカギです。

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弓の毛を弦にたっぷりべったりつけてギャーと弾き始めるくらいのつもりでちょうどいい透き通った音が出ます。臆病風は第一の敵と心得ましょう。

もちろんカルテットの演奏の場合ですが。

しかし合奏でも勢いは必要です。そして毛を弦にかませる必要があるのは同じで発音はやはりはっきり出さねばなりません。

音程が悪い場合は論外の扱いです。こんな曲で音がずれたらおしまいですし、練習の時に音がずれる方は本番は欠席いたしましょう。それが世のため人のためであり公衆衛生というものかもしれません。

こういう曲はみんながほぼ知っている曲で間違いが許されないシビアな曲ですからね。

小学校から弾いているような人は大丈夫なのですが、あとから挑戦する場合は、なかなかに慎重に準備をなさってください。

大人になってからでも、まともに練習のしがいがある名曲です。

 

バイオリン 見栄か格好つけか粋なのか?

f:id:FujiYama:20210213161633j:plainたくさんの魅力的なバイオリンを弾かせていただく機会に恵まれているので、日本は良い国だなと、愛好者としてはありがたく感謝している。
しかし、それなりに多くのファンがバイオリンを弾くと、どうしても今一つ聴きづらい演奏をする方も相当数おられる。
別の記事で弦楽器は趣味でやるのが難しいと書いたけれど、それなりに難しいと改めて思う。
ここ数年、私はアマチュアのオーケストラの演奏会に脚を運ばなくなった。
マチュアで趣味でやると、どうしても弓をチョコチョコ動かして楽器を演奏できていない。音程は狂うしリズムは外す。
マチュアでもセミプロの部類ならそんなことはないのだが、大方のアマチュアは何をしたいのかわからない集団である。
ま、好きでやっているのだから、それで良いじゃんと開き直られると二の句は継げないし、いちいち説教なんてしたくもない。
しかし、その使用されている楽器はもったいないとしか言いようがない取り扱いをされている。
楽器の力量が十分に生かされず、1/3くらいの表現しかなされていない。
私は試し弾きすると、必ずその楽器の価格帯が適正かなとチェックする。実際に購入するに至ることもあるから当たり前なのだが、そうではなくて、1/3しか表現できないままでは、価格帯が泣くわけだ。
300万円の楽器は100万円に、三十万円の楽器は十万円の楽器と同じになってしまう。
こんなに悲しい現実がありふれている虚しさを毎回感じ続け耐え続けることは、私にはできない。プリマドンナたちは歌えない悲しみに耐えている。
おそらく十年は弦楽器を弾いておられる方たちだから、もはや上達する見込みも薄い。ヘタに弾くクセがついている。
きちんと弾ける人はきちんと先生について練習して発表してきた人に限られる。楽器を鳴らしきるのが当たり前だ。
そうでなければ粋な感じもしない。
高級車でコンビニに缶コーヒーでも買いに行くのが粋であるという人は、よほどゆとりがあるのだろうか、それとも浪費癖があるのだろうか。この厳しいご時世に、やっぱりもったいない感が半端ない。

森会長は老害という記事から五日後の今日

五日前、はてなブログで森会長を老害と言ってはならないという記事を目にして、即座に私は「森会長は老害」という記事をアップした。誰も読んでいなかったが、その直後SNSで問題を取り上げたり人気アナウンサーが問題を取り上げたりして、辞任するように願っていた。
はてなブログの人気は老害とは言ってはならないほうのブログに断然ある。三けたの評価を受けていた。
はてなブログのレベルは男尊女卑に甘いレベルだということがわかった。
私のきちんとしたブログはまったく一読もされずに、男尊女卑の森氏を老害とはっきり言えない人のブログがもてはやされる。
くだらない程度の利用者を相手にブログを書くことがアホらしく感じる。
低次元なアジアのおサルさんたちは、男尊女卑になにも感じていない。
なぜイエローモンキーと差別されるのか、よくわかるブログとその評価のわかれかたである。
ともあれ、森氏が辞任してよかった。
アジアの恥は中共だけではない。

株主ウハウハ社会

f:id:FujiYama:20210210210032j:plain今の日本の仕組みが株主うはうはになっている。こんなおいしい仕組みは絶対にやめられません。
もっと消費税をあげて、法人税はさげて、配当所得税も下げて、ひたすら株主だけがおいしい社会をつくろうということです。
いくら働いても給料や歩合は上がりません。絶対に給料は上がりません。給料をあげてはなりませぬ。世界と戦うためと言えば誰も反論しないから。
もっと個人事業者を増やし、契約社員を増やし、ぜんぶ人件費は削りに削り、社会保険料までけちれば、株主だけがおいしい社会が築けるわけです。
労働者、被雇用者、個人事業者はひたすら消費税を払って貧困を極めてください。
仕事は国としてプライマリーバランスがあるからあげません。地方予算もあげません。
頑張ってね。協力してね。
株主だけがおいしい社会ができました。
乾杯。
またコロナで店じまい。失業。貧困。自殺。
それでも株主はハッピーライフ。
乾杯。
なにかちがうものを感じるのですが。
東証最高値更新と株主だけの幸福と乾杯をどう考えたら良いのでしょうか?
すべては富裕層株主のぼろ儲けうはうは社会のために。
奴隷民族に堕したやまと民族はあわれな貧乏性。
経済評論家三橋貴明さんが私の言いたいことを解き明かしてくれていました。
ひとりでおかしいなと感じたことは、他にもやはりまともな感性の人もいるもんです。
京大の藤井聡さんもかなり近い感性です。
日本をまっとうで健全な国にしたいと思うのであれば、日本人として参考にすべき評論家と学者たちです。
いま滅び行く日本を見ながら、宗教の間違いは政治の間違いとなって国を亡ぼすのだとよくわかります。f:id:FujiYama:20210210210112j:plain

パラディス シチリアーノ

名曲にひかれて音楽にはまる人は多いと思います。このじつに短い名曲は、なにが名曲なのか説明よりも百聞は一聴にしかずです。

 説明が一切いらない、ストレートに感銘を受ける曲こそが、私は名曲だと思います。

 グリュミオーの名曲集アルバムの最初に収録されていてあまりに有名なのですが、私は幸にも、ホテルオークラ東京のロビーで、小川響子さんの生演奏で聴くことができました。

 小川さんはミュンヘン国際のピアノトリオ部門で優勝なさった有名な実力者です。

 小川さんは謙虚にもオイストラフのベートーベンが素晴らしいと仰っていましたが、彼女の演奏は過去の偉大な名手たちを凌ぐか或いは彷彿とさせるような素晴らしいものでした。

 私は小川さんの演奏を聴いて速攻で楽譜を購入してレッスンを受けました。人間の行動で衝動的なものにはあまり良いことがありませんが、人生におけるこの衝動こそ正しいものだったと思っています。

 技術的になんにも難しいところがなさそうな短い曲ですが、案外難しい曲です。親しみやすいシチリアーノ舞曲のリズムですが、リズムの揺れに王道のものがあって、ポジショニングが結構地味に難しい曲です。弓の配分も適切にするととても弾きやすくなります。

 知識としてf:id:FujiYama:20201226191150j:plain説明を加えるとすれば女性作曲家で盲目の方が作った作品だということでしょうか?

 一度ならずもう一度レッスンを受けて、さらにしっかりした演奏にしたいなと思っています。ほんとうに素晴らしい曲の場合は、自然とそういう気持ちになるようです。どうしてもどこまでも大切にしたいという気持ちに。

バッハ ドッペルコンチェルト 

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 これほど親しみ深い2重奏協奏曲は他に見当たりませんし、これほど難しい2重奏も他にはないかもしれません。

 葉加瀬太郎さんや古澤巌さんがテレビでアレンジしているので、誰もが親しみやすいものになりました。しかし、本来的にはバイオリン好きならみんな親しんでいる練習曲でもあります。

 でも考えてみると大抵みんな1楽章しかやらないのです。

 モーツアルトの協奏曲も課題で1楽章のみで終わりますが、そのはしりみたいな感じです。

 数年前私はある先生にドッペルコンチェルトを先生と合わせたいと希望したのですが、楽勝ムードで取り掛かろうとしたところ、先生は3楽章の楽譜を提示なさいました。これが、まあ難しい。

 濃厚な濃密な合わせとなりました。

 音の入りが相方に滑り込むように入らなければ、間がずれます。そしてフレーズを考えて弓を使わなければ不自然になります。ポジション移動はそこそこ技術が要ります。

 これらをすべてクリアしてようやく合わせが成立するというなかなかに音楽的技術的に難易度の高いレッスンとなりました。聴くだけならさらっと流れる簡単そうな印象ですが、まあ難しい。

 なかなかに緊張感があってよかったですが。

 いつかオールド楽器同士でもどなたかと合わせてみたいなあと漠然と思っていますがなかなか機会には恵まれなさそうです。

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